4月10日(水)
「ナイフ」重松清著:新潮文庫2000年7月発行
図書館のリサイクル本を読んでいた。
タイトルになっている小説は学校のいじめに関することがテーマになっている。
重いテーマなのですが読み応えがあり集中できました。学級崩壊とかが騒がれていた時代…
あれから何が変わったのだろう。
あの頃も今も僕自身は何も深く考えていない。だから今改めて考えてしまうことになる。問題は僕の中にある。ずっとずっと先送りになってきた問題。
当事者意識を持てというがかなり難しい作業だ。それでも頭の悪い僕は考え続けていくことくらいはできる。
そうしようと思わせる小説でした。読んでよかったです。
さて以下の長いカッコ内は支離滅裂な独り言です。何が言いたいのか自分でもわからない。
でも口に出してみるとぽろっと何かが落ちてくることがある。それが面白い。
(畳屋さんが午後から雨が上がったところを見計らって畳を納めてくれました。
さて何も置いてない4畳半と6畳、、とりあえず今まで使っていた机と椅子…昔、東四つ木の中央公園のバザーで、家なき子みたいな風情の300円で買ったお人形さんを小さな椅子の上に座らせて…僕もついでにいっこだけ置いてある丸椅子に腰かけてみる。
すぐ何か回想してしまう手がかりのものがない、、これはちょっと使い途がありそうだ。
きちんと寂しさを味わえるかもしれない。
とりあえずスマホは邪魔だ。
体が丈夫で、身の回りの心配事が少なくなった…これは新しい局面です、、自分の心配だけしていればいい、、今まで、この状況はありそうで、なかった。
先ほど寂しさをきちんと味わいたいと持って回った言い方をしました。
きちんと味わえていないからです。ずいぶん贅沢な悩みかも。
今別に寂しくない。
どうしてか。
年がら年中バックミュージックのように耳鳴りがしている…から、というのは冗談みたいですがその理由の1つかもしれない。
それとか、、亡くなったか、まだ生きているかを問わず勝手に頭の中でその人たちを呼び出して会話したりして遊んでいるからかもしれない。
幻聴とか幻視の類ではありません。
プールで元気に泳いでいる子供たちや通園通学をしている小学生たちに毎日のように遭遇できるのも寂しさを紛らわしてくれているのだと思います。
ぼくが、子供たちを見ていて楽しいのは心から楽しんでいることが、見ていてすぐわかるからです。
でも、ところで何が楽しいの君?
先ほど寂しさをきちんと味わいたいなどと、強がりのようなキザなことを言いました。
寂しさを感じなくて済む子供時代だったのかもしれない。
兄や姉とはその点が違う。
ところで、、僕はピカソは子供になりたくてあんな絵に回帰したのだと勝手に考えています。
そう断定する人も確かいたと思います。
早熟なピカソ(すでに画家として名のある父親を十数歳で超えて、父親に父親自らの絵筆を捨てさせた、つまり父親に画業を捨てさせたほどの男と聞いています)はその分、のちに、歳をとると早熟だったせい、で味わえなかった子供の頃の喜びを見出そうと子供に回帰する、、考えてみれば自然な成り行き。
若返ってただ子供に還りたいと思ったわけでは、もちろん、ない。壮年の頭脳と子供の感性が欲しかったのではないでしょうか、人並み外れたスゲー欲張りのように見える。
自然な欲求のようにも思える。
子供(幼児)は朝起きるとワンダーランドが始まる、、本人がそれを意識しているかどうかはわからない。
周囲は面白そうな刺激物ばかり、、そこももしかしたら意識していないかもしれない、、意識していなくてもありあまる感受性だけはある、、ピカソはその感受性だけ欲しかったのではないでしょうか。
なんであんなに楽しかったのか忘れてしまっていたから。
楽しんだもの勝ち…そりゃそうだ。
若い時の苦労は買ってでもしろ、、そのこころは、、その方があとで世の中楽しめる?
なんて言葉遊びを空き家みたいな部屋でたまにしてみようかと思いました。
ゆっくり家でそんな遊びをしたことがなかったもんですから…子供時代から大人時代を通して…。
貧乏な頃が懐かしいとのたまう母、、そう回想するその時でさえ今から思うと豊かだったとは言えない、、楽しむのにも才能が要るのかな。
Human greed人間の貪欲…でもそれってあまりに人間的!
それとは逆に、貪欲の意味すら知らなかった母も少しも哀れではない、それもまた人間的。
小人閑居して不善をなす、その不善とは何かも知りたい。
ある意味、四方八方、支離滅裂に情報を嗅ぎ分けていた子供の頃の感受性を空き家みたいな部屋で探してみよう!
はい、お退屈さま、、失礼しました😅まとまりつかない独り言にお付き合い下さってありがとうございました。
ところで昨日のマネキン大股開きにしてみたらたちまち男になりました、、あはは🤣)
子供といじめ。難しいテーマですよね。子供はみんな純粋、みたいなことを言う人も多く、特に作家がそういうことを書くと無条件に信じてしまう傾向があるけれど、子供って大人以上に残酷にもなれる。何も知識がないからそれが残酷ということすら分からない。
今、欧州ではフランスでもドイツでも、普通の小中学校でユダヤ系の子供がイジメられ傷つけられ、ときには殺されるなど大きな問題になっていますが、左派の政治家はこれは「反ユダヤ」でなく「反イスラエル」で、ガザを襲撃して住民を苦しめているイスラエルが悪いのだと主張して虐めの弁護をしています。それで図に乗ったイスラム教徒が同じ学校のユダヤ系の子の通学を妨害したりするので、独でも仏でも、ユダヤ人は私立学校に通うほかなくなりました。
この事態に、欧州の政府は全く無力です。フランスもドイツもオランダもベルギーも。