4月8日(月)
「ゲルニカに死す」佐伯泰英著:文芸春秋1996年11月第1刷)
読み終えて、、今の僕の気分に合わなかった、読まなければよかったという後悔が少しあります、つまり今せっかくいい気分で暮らしているのに…このシーンは見たくなかった、、。
(背負わされた十字架の重さにこっちの方が潰されてしまいそうになった、、全く華奢な僕です)
(僕の今の気分に合わないだけで本の価値は1ミリも揺らいでいないことを最初にお断りします)
読者なんて本当に勝手なものですね。
こっちから声をかけてしまったものの…その方(本の中の登場人物たち)が苦悩の塊のような人だった…その辛さかな。
(スペインのバスクにいてこの本を読んだらまた全然違う感想が持てたと思います。バスク人気質もきちんと読み取れなかったことがばれてしまいました😅)
途中から小説の中身に素直に入っていけなくなっていました。
やわな読者です。
こうなると読んでいてあら探しが入ってきて、もう楽しめない。
バタンと閉じてしまう度胸もないくせに、いつの間にか無い物ねだり、ぜいたくな読者になっていましたね…
押し付けられた感じがしてしまったのかなと…作者と一緒に楽しみたかったのにー、と思ったり
あ、もしかしたら…上から目線が気になったのかも、、なんてね、、
こうなるともうこっちのひがみ根性丸出しですね、、僕自身の本性があぶり出しみたいにあらわになってしまった…その後悔…ということに今のところしておきます、、
歯切れが悪くてすいません、、それこそこんなコメント読まなければよかったと思われてしまいますね…あはは🤣
まぁ気楽な読者からのぜいたくで無責任な言い草だとは思います、、でも本音。
本を書く人は大変だなぁ。まるまる自分をさらけ出すことになる。
これからは本を読むときも、人とお付き合いするときにいつも考えている「距離感」をきちんと測定してから読むことにいたします。
その意味では、そういうことをきちんと認識できて、この本を読んで良かったなと思いました。
本を選ぶのも人との付き合いと同じ。
クレマチスさんも、そのようなことをおっしゃってらしたことを想い出しました、、今回、深く同感いたしました。
(毎日夕方4時半ごろになるとそわそわしてしまいます。
晩酌の時間が近くなるからです。この頃はお酒のつまみに迷うことが少なくなりました。
豆腐、煮干し、ピーナッツ、お新香、お煎餅と海苔、チーズなどが、があればとりあえず酒のつまみはオッケーです。
適当に組み合わせたり、、例えば煮干しとピーナツを混ぜて食すと酒のつまみとしては僕の中ではベストです。口直しには漬物が常備されているのでこれまた安心。
まだまだ日本酒がおいしいです。まぁ1年中日本酒でもいいと思います。飽きないし滋養になるような気がします。酒は百薬の長、、そう思います)
読まなきゃよかった、という本、観なきゃよかった、という映画、ありますね。私も重いものはちょっと苦手です。ただ、内容が重くても題材の用い方次第で読み続けられる作品もある。
私は友達の友達の遺品としてもらった本の中の目ぼしいものはほとんど読み終えたので、また自分が持ってきた少し難しい本を読み直しています。「遺品」の中で、最初は食指が伸びなかったけれど読んでよかったと思うのは曽野綾子の短編集でした。60年代でしょうか、よくアメリカに行った時期の経験を元にしたものが多く、移民一世が経営するホテルの話が面白いと思いました。英語と日本語を奇妙に混ぜる会話は、サンフランシスコで暮らした親戚から聞いていたので懐かしい感じ。でも日系人って、自分たちが差別されながら結構差別もしていたようです。当時はまだ日系人強制収容所の記憶も新しかったのに。
例えば。レストランや喫茶店でユダヤ人のことを「ジュ―」とか言うと聞いた人に話題が分かってしまうので、日本人同士では九一(くいち)さんというんですって。9+1で10、ジュ―だから。こういうことを得意げに言って笑う日本人、子供心に嫌だなあと思いました。