4月3日(水)
昨日の朝、畳屋さんが娘さんらしい方と見えて、6畳と4畳半の畳を全て持っていってくれました。
畳の下の荒板に高さ調整用の新聞が置いてありました…毎日新聞、1985年とあります…たしかプラザ合意があった年!それ以来、畳の表替えしていないのかな?
広げて読みたい気持ちもありましたがそのままにしておきました。
荒板が、びくともしていなかったので一安心。あまり古びていない。板はまだ生きている。
プールでニコニコと挨拶を交わしただけで昨日は1日会話もなし。
それでも僕は、静かに暮らせているだけで、とてもぜいたくな気分です。
そもそも欲求の基準が低いのでそんな気分になれるのだと思います。
今のところは静かであればそれで満足。
大体の事は良いほうに考える。すべてプラス思考。そのほうが気楽だからです。たったそれだけのことがとてもぜいたくな気分とはこれいかに?
1人で寂しいこと…放っておいてもらうこと…どちらを取るかと言われれば迷うことなく放っておいてもらう方を取る。
前にも言ったと思いますが猫と同じです、寂しければ近寄っていけばいい、嫌われたらすごすごと離れればよし。
関係を迫る?なんて事はありえない。第一めんどくさい。その体力もない。
仮に体力があったとしてもそんなことに使いたくない。
腿の筋肉が目に見えて落ちてきたので、たまに痛む右膝をかばいながら補強のためにスクワットでもしている方がマシ。
ところで、僕もその年頃?なので、先人たちの晩年を思い浮かべることが多くなりました。
芭蕉は死ぬ間際まで若者のようだった、、夢の中で枯れ野を駆け巡っていたのがその証拠。
北斎は高齢の晩年まで創作意欲が失われる事はなかったと聞く。年齢を重ねるごとに見えてくるものがあればそれを表現せずにはいられない…きっとそんな気持ちだったのではないでしょうか。
一茶も弟と遺産の分け前のことでもめ、身内の不幸も積み重なったけど、仲介する人がいて弟との不仲もほぐれた、、と聞いていて、そんな普通の平穏が苦労続きの一茶にとっては、普通の平穏ではなく、やっと訪れた安定した平和は多分天国にでもいるような気分だったのではないかと勝手に想像しています。
僕はそういった尊敬する先人の爪の垢を煎じて飲みたい。
先人たちに関する知識は、本を読んだり、作品を通じて自分勝手にこしらえたイメージではありますが、本の形で残してくれたからこそ伝わったのは間違いないわけで仲介してくれた先人たちにも、お礼を言いたいです。
なだいなだの本がポストに届いていた。読むのが楽しみ。
僕はこの頃、本の方で僕を呼び寄せてくれているような気がする。
本は、それを書いた人の遺言と思ってみるようにしているせいか、今までの本の読み方では見えてこなかった素顔が見えてきたのかな。
遺言は読むべし、、なんちゃって。
今日の昼間は雨模様。
昨日は春らしい好天気に、畳のない2階の部屋を開け放しておいたので何となく気分が良い。
(ほんの1年前まで僕はなんてじいさんらしくなかったんだろうと、改めてびっくり。
そんな僕でも最近のように、急に動けばめまいがするようになれば嫌でも一気にじいさんらしくなる。
じいさんになるのは意外と簡単だった…あはは🤣)
復活祭の休暇を過ごすアルザスの村でレストランを経営する女将さんは私と同い年、今年77歳になります。穏やかで忍耐強くて優しい奥さん。ご主人は愛想よくてちょっと髪結いのダンナ風、息子さんがシェフとなりそのお嫁さんがそばのホテルを経営し、孫娘は修業中のコックさんと結婚して自分もレストランで働いて、そしてジュリエットが生まれて。繁忙期には学生の大甥や大姪も総出で店を手伝う。彼女の求心力にはすごいものがあります。その彼女に昨年曾孫ができたというので、ひえ~、私そんな年になったんだ、とたまげました。
この奥さん、どんな不意の客も追い返したことがない。どうしてもテーブルが足りない時、自分の住まいの居間で食べてもらったというエピソードがあります。しかもその村で生まれ育って、商売を始めて、両親をそれぞれ88歳と92歳で見送って、「今お二人が泊まっていらっしゃるホテルね、あそこは両親が住んでいた農家で、そこで生涯を終えたんです」とのこと。うーん、この一家の物語が書けるなあ、と思ってしまいました。おばあさんが書くおばあさんの伝記、面白そうでしょう。