3月17日(日)
(環境が変わることに抵抗を持たないことで新しい視点を得られるから)環境になじみ、環境を受け入れなさい、と最初の会社の上司に言われた。働きだした精密機械メーカーの技術課に配属された時の係長の言葉です。
あぁそんなもんですかと黙ってうなずいていた。
本心は環境があまりに違いすぎておろおろしていたというのが正直なところ、、働きだした頃ってみんなそうじゃなかっただろうか?
周りのスタッフをとにかくよく観察して、その人の気分、体調までわかるようにならないと仕事はうまくまとめられないと、経理の仕事をしてる時に経理部長に言われた。
周りのスタッフに気を遣ってもらっていたのは僕の方だと途中で気がついた。
セミナー屋の営業をやっていた時、自分が社長になった気分、会社の代表者として交渉しなさいと、代表者が社員の誰彼となく伝えていることを見ていた。
僕はすぐその気になった。
鉛筆忙しく動かして書類を作って、仕事をするふりをしてもダメですよ…そんなもの肉体労働ですと社長室長に言われた。
持ち込んでる用紙は自前で買いましたので好きに使わせていただきますと、偉そうに口答えしていたことを思い出し、そこまでおごっていい気になっていたんだと驚きます。
事務の標準化を一手に引き受けてノリノリで(棚ぼた式に)仕事を任されていたときの話です。
今朝は書くことが思いつかなくてこんなことを思い出していました。
自分1人で行う回想法、、といったところです、、あはは🤣
(春先は学校でも職場でも緊張感を持ってスタートしているフレッシュマンに溢れている…のかな?
直感的に言えば、目まぐるしく変わる社会情勢に合わせて猶予期間は短くて即戦力を要請されているんだろうかと悲観的です。
正直言いますと…僕だったらこんな時代うまく乗り切れたかどうか自信がありません。僕みたいなある意味わがままな性格を受け入れる余裕がなくなっているような気がしますので。
自分で問いを立て自分で計画をし自分で先生を探して(つまり教材を探し当てることも含めて)自習していく教育システムを小学生に押し付ける…じゃなくて小学生を丸め込むでもなくて…とにかく決められたボリュームの学習内容を押し付けるのではなくて…大まかに言えば自分自身をコントロールしてする自主学習が求められる時代なのかな?
それも小学生から!
どちらにしても指導者は手抜きができない。教えるほうも教わるほうも観察観察観察。
植物を育てるように適度な水やりと栄養補給、何よりものびのびとした自然(を模した)環境、これが求められている…それは確か。それが1番手間がかかって難しいことも確か。
あ、これって、びすこさんがおっしゃっていた高齢者の再入学もそこに悪乗りできるかもしれないな。
それどころかそこそこのサイズの教育産業にもなり得るか?
なんてねー、頭の体操してみよー😜)
今朝のこと、春の空気を吸いながら夫に「あなたが23年前に(結婚を申し込みに)来日したのは、ちょうど今頃だったわね」と言ったことでした。シリアに旅したのも、イスラエル旅行も、三月の後半でしたので、春になると思い出す、というよりいやでも思い出させられることが多々あります。不思議に思うのは、日本、ドイツ、地中海沿岸地方とまったく異なる場所なのに、空気は同じで色や匂いも似ていることで、この地球を覆う大気は一つなんだな、と感じます。この時期道端に咲く花は、どこでもイヌフグリやナズナと共通していました。
結婚したとき知り合いの九州の女性(戦争直後混血児のために孤児院を立ち上げた父上の後を継いで施設を経営していた人)に式の写真を送ったら、まあ、なんて適応力があるのでしょう、と驚かれました。別にそんな「力」なんて意識したことがなかったので、結婚して他国に住むことがそんなに大変と思われたことが意外でした。
考えてみると、どこにでも住めるというのは、もともと生まれた家で最初から余所者扱いだったからでしょう。いじめられたとか無視されたというわけではありませんが、草深い田舎では、あれほど大きな戦争を経て社会のドラスチックな変貌を経験しても、大事なのは「長男」「家督相続人」で、それ以外は付録。女はいずれ嫁いて家を出る身ということが前提でした。嫁がなければ嫁がないで迷惑がられ、とにかく長男(夫婦)の負担にならぬよう自力で生きるよう若いときからプログラミングされ、1960年代から既に「女三界に家無し」を叩き込まれたおかげで、家なき子であることは当たり前、哲学的にいうと「所与」であり「与件」だったわけです。
最近時代小説を読んでいるとよく「部屋住み」という言葉が出て来ます。長男以外の息子は男子のない家の養子にもらわれなければ、敷地の一角に住まいを準備され食事も与えられるのですが、仕事も稼ぎもなく文字通り「飼い殺し」。才覚のある子は自ら侍の身分を捨てて商人になることもあったとか。結構多かったのが薬師(医者)だったというのが面白いですね。だから江戸時代の医師には、御殿医でも町医者でも、長男はいなかったんですって。
残り物には福がある、余所者には自由がある、ということでしょう。