3月11日(月)
13年前の東日本大震災以来一般住宅の基礎部分がやたら頑丈になった。地中にコンクリート杭を打っている構造まである。
地盤の流動化を目の当たりにしたからだと思う。
大木が空を仰いで繁茂すると同時に地中深く根を張るように、地面に建物を植え付ける。
近くに郵便局の本局がある。その本局の目印になっていたモニュメントが道路の拡張工事に伴い確か半年ほど前に壊され今も基礎部分が残ったままだ。深く掘り返された部分に水が溜まったまま引くことがない。
つまり僕の素人観察では保水力があるという事はこの辺一帯は一皮むけば粘土層、沼地であったという証拠ではないか。
だからどうした?
大水が出たら我が家はひとたまりもないだろう。地盤にとどまっているかどうかもわからない。根無し草状態。
いっそ水に浮かぶ船になるような構造ならどうかと一瞬考えたが漂流物同士ぶつかるのが関の山だろう。
具体的には、今度大水が出て命が助かっていたらそれから考える、、命はなくなっても知恵は残り、引き継がれる、と思った方が大人っぽい考え方かなと思いました。
(昨日まだ読まないで積ん読になっている本を1カ所にまとめてみましたら相変わらず3メートル位ありました。根無し草のような我が身の「重し」位にはなっているのだと思います、、あはは🤣)
東京都の地理と地形の変遷に私は何の知識もないのですが(クレマチスさんがかなりお詳しいようです)、時代小説を読んでいると、ほう、昔はこの○○区の〷町はこんなところだったのか、と教えられることがままあります。このジャンルでは山本周五郎から宮部みゆきまで結構愛読しており、前者はハピーエンドが多いのも嬉しく、日本の昔のメルヘンを読むつもりで楽しんでいます。それらの中には台東区とか墨田区とか、柳川の芸者とか、いかにも下町というところもありますが、健康を害した下女を葛飾の田舎の家に返した、なんて表現に「ほう、葛飾ってそんなとこだったのか」と驚いたこともあります。俳句にも葛飾はよく登場しますよね。水の郷だったそうで、生垣まで水路が迫っていたとか。向島の辺りの水災害の話は聞きますが、葛飾はどうだったのでしょう。