2月20日(火)
やっと住まいに慣れてきた。住居の底力を感じる。まさに陋屋、独居老人は浪人気取り。
閉じこもりに適したもの…片付け物、工作、掃除、洗濯、食事、読書、勉強、ヤッホーいっぱいあるぞ。
外出に適したもの…散歩、ジム通い、買い物、お茶請けのお菓子を買おう、南部せんべい、豆の入った味噌せんべい、酒のつまみは何かな。昨日は鯖弁当のおかずで酒を飲んだ。堂々たる焼いた鯖が斜めに横たわっていて、切り干し大根や里芋の煮っ転がし、おいしいコロッケまでついている、430円。遊園地で暮らしている気分。
ジムで遊んでればあっという間に2時間経つ。
昨日やっとバタフライでいつまでも泳ぎ続けるようなかたちができた。ある程度疲れきったからこそできた泳ぎ。
会得してみればなんという事はない…なんで最初からこのようにできなかったのかと思う。
なんでも、わかってしまえばそんなところだろうと思います。
最後の詰めが面白かった。今までのいろいろな工夫を一通りやってみた…しまいには疲れてきて、初めて感じる腰の痛みまで、、やばい、、
そんな時、平泳ぎの時の腰に負担をかけない腰掛けるお尻の形をしてみたらしばらくして痛みが取れた…つまりそれが結果的に膝も緩めて下半身全体で水をしっかり押さえ、上半身をふわっと浮き上がらせるポイントでした。その感覚を忘れないためにそのままプールから上がり、頭と体にゆっくり定着させました。
昨日はちょっと気が向いて霧雨の中でバスに乗って堀切に向かい、知り合いの家に顔を出したら留守、庭先に取り入れたばかりの夏みかんが山ほど並べてある。ご自由にどうぞと達筆で書かれた札がついていたので1番大きな夏みかんを1つお土産にもらってきた。
野性味のある堂々とした面構えの夏みかん。子供の頃のあの酸っぱさが蘇るのだろうか…厚い皮をむいて食べるのが楽しみ。
ところで、平和な時間が長くて使いでがあるわけではない。楽しい時間だから早く過ぎるという事はあるだろう。
子供たちはいつまでも遊んでいたいと思うだろう。大人は違うのだろうか?
自分と向き合っているのが1番楽しい。今ならゆっくり取り戻せる。自分と向き合っていれば少しずつ自分が変わっていくのがわかる。
米の味もお酒の味も少しずつわかってきた。やっと時間が作れて人並みになってきたのだと思う。
地上に繋がれていた細いけれど丈夫な糸とも切れて浮遊している。
(泳ぎすぎて体を壊す人がいるそうだ…そんなバカな。泳げば泳ぐほどリラックスできるのに体が壊れるほど邪険に扱えば機械だって壊れる。水や空気に逆らわない。水が体を運んでくれる。空気がまっすぐ歩けと教えてくれる。
僕らは「なま物」取扱注意。
水の中にいると空気のことが少しわかる。散歩していれば空気と比較して水のこともよくわかる。空気も水も循環している。空気も水も淀む事は無い。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず(方丈記)
僕らも毎日生まれ変わっている。そう思えば自分自身を邪険に扱うことなどもってのほかだと思う。
父がよく言っていた…酒も飲めなくなったらおしまいだ…おいしい酒を飲むために努力すればよい。
もう僕は「まとめ」の時代だ。そんな時間も取れずがなくなっていった人が数え切れないほどいるというのに僕自身はなんと平和なことだろう。
時代にも合わなくなってきている。浪人は時代と時代の間を浮遊する。
さっき見た夢まで大正時代位まで紛れ込んだような夢。もちろん夢の中でドキドキしている💓。現実も白昼夢の中にいるようなので夢もそれにシンクロしているのだと思う。ちょっとワクワクする🤏
1年位こうしていよう。そのうちこんな日記誰も読まなくなるだろう。それでいい。
書きつけていれば、少なくとも僕自身が変わったことを確認するのは僕、それがスリリング)
「まとめ」の時代。なるほどね。Summing-upですね。自分の人生を要約するとして、さて、どう言えばいいんだろう、とふっと笑ってしまうのは、さほどひどい人生ではなかった、ということでしょうか。もしかしてこの後に大きな悲劇が待っている可能性もある。でも、四捨五入すれば80歳という現在までそこそこ・まあまあだったことを思えば、今後の数年間に何があっても仕方ないという気もします。うんと悲しいことだってあったけれど今が平穏だから、相当恨みがましい私でも、昔のことは仕方ないと思えるようになりました。
夏みかんのことを書いていらっしゃったので、私も昔よく食べた柑橘類を思い出しました。我が家の裏の畑に大きな大きな蜜柑の生る木があって、それは「うちむらさき」と呼ばれていました。皮をむくと薄い紫色なのでそういう名が付いたのでしょう。後にそれは世間で「ザボン」と呼んでいる果物と聞き、そちらの名前の方がエキゾチックだなと思ったりしたのですが、漢字で「朱欒」と書くことを知ったのは大人になってからでした。
家中でこの朱欒、うちむらさきを食べるのは私だけで、他の人たちは見向きもせず、つまり木一本が丸々私に与えられたようなもの。当時も食糧事情はよくなかったし、しかも自身食べることにあまり興味がなく栄養が偏っていたためにずっと虚弱でしたが、とにもかくにもこの年まで生きられたのは、子供の頃、春が近づくと毎日のように一人で食べ続けたうちむらさきのおかげもあるかもしれません。
この日記、誰も読まなくなる?そんなことないですよ、私、Nobodyじゃないもん。
(今、夜中の3時半。遅くにうっかりコーヒーを飲んでしまったせいか眠れず、起き出してこれを書いています。)