1月30日(火)
LINEはコミュニティーを作るための強力な助っ人になる、と思います。
いくつかの毛色の変わったLINEに所属していればそれは網の目のように人のつながりの可能性を示している、どこかの線が何らかの不具合で切れても違う接点でつながっている…つまりセーフティーネットは機能する…なんちゃって😅
日常のたわいない事でもLINEを通じて発表していれば「水が流れている」、つ、つまり、その、、交際している感じがする、いざとなれば繋がれる、これが貴重だなと思います。
今日は寒いですね😵と言えば、直接の返事はなくても反応と取れる「…」既読数がLINEに流れる。それがとても貴重だとつくづく思います。
発言に参加しないことを負担にお感じになり、LINEグループでその「ただ見」感覚が嫌だという理由でお辞めになっていく方がいらっしゃいます。あるいはグループそのものに興味がなくなった…それも選択の1つ。
日本人はめったなことでは発言しない…僕はそう思っています。自分の気持ちに波風を立てたくない感覚?かもしれないなと思います。
いちまるさんは、損にも得にもならない事柄には一切首を突っ込まない人ですねとズバリ指摘された先輩がいらっしゃいました。そう図星で指摘され…見破られた、と思いました。
でも指摘されたからといって自分のそういう傾向が直ったとは思いません。そうした態度を、悪ぶって必要悪とはあえて言いたくありませんけれども、それでなくてもストレスの多い社会…親しくするのはちょっと重い。だけど、付かず離れずつながっている、ずっと、そうさせてもらっているような気がしていました。薄く、細くでもつながっていたい保全本能?
僕みたいに地下室に閉じこもっているような状況のものにとってはLINEはとても頼りになるコミュニティです。独り言が聞いてもらえる…もっと皆さんに気楽に使ってもらいたい頼りになるメディアだと思っています。
LINEをテコにいろいろなつながりを仕組んで行けたらそれも仕事の1つになります。薄く広いお付き合いのお手伝い…自分のためでもある。
参加する負担感を少なく、つまり出入り自由はキープしつつ、ちょっと参加してみれば、所属感を醸すよくできたメディア、場合によってはストレス耐性を作るためにも、その練習場所と、捉えたりしてもっと気楽に考えて細く長くつながりましょ
距離感はそれぞれの人がそれぞれ自分の保ちたい距離感でLINEの中で作っていけば良い
そもそもお付き合いとはそうしたものですよね
だからお付き合いとしてのLINEつながりは面白い、そうお声掛けしていこう。
(人間て繊細…だから生き延びてこられたのだろうと思いました)
私はLINEはやらないし、こちらでいうWhatUpみたいなのも参加しないので分かりませんが、Instagramとか聞くと、何、これ、と思ってしまう。知り合いの知り合いが、「いいね!」と反応するのに疲れた、とか言っていました。でも反応しないと恨まれるの?
他にも、人気のブログを見ていて思うのですが、毎日のようにアップしてすごいエネルギーだと感心するとともに、それに対するコメントが少なくとも1ダース以上あるので、レスポンスが大変だろうなと気の毒になる。ブロガーという言葉があるのも納得です、だってブログ書きって一種の仕事だもの。