1月3日(金)
中にバターが仕込んである小さなぶどうパンを焼いて食べる。小さなカップでコーヒーを飲む。乾燥芋を食べる。おせんべいポリポリ。
そんなことをしながらふと考える。情報を作ることについて。
情報を探すより作る方が早い、情報を探るよりは流して反応を見るなんてことも思い浮かべてみる。結構多分みんなやってる。
とりあえず何か発信してみて受信先を探る、、そんなことも多分とっくのとうにやっているだろう。
とりあえず目立ってみればいいのか?そうしたら、もしかしたら情報が向こうからやってくる?そんなことも考えられるし、既にやってもいるだろう。
そんなあざといことをするよりはとりあえずもっと簡単になにか考えるヒントをもらおうとすれば… 10年前の本を読んで10年先を考える。僕の常套手段が無難だろう。
それにしても10年前の考察の結果が今だと仮定してみると… 10年後の着地点…誰が想像つくだろうと思う位100年単位の長い目で見たら激変が明らかになるかもしれないな。
激変の自覚がないだけに空恐ろしい。
今日は1日ああだこうだいろいろ考えてみよう。
1月3日はそんなことをするのに適している日だ。今年一年の計のキモはなんだ?
とりあえず1月3日を作る、、そこからしかやりようがないではないか…ふふ😉
(突然ですが明日からタイトルが変わります、、微助っ人日記、、だったら微助っ人クラブのグループLINEに直接アップすれば良いではないかと言われそうですがそうはいかないのです。
僕の発想そのものが自分で言うのもおこがましいですがどう考えても文学的発想法、つまり文字を連ねる、畳み込む、切貼りして、コラージュふうに考えをまとめる、つまり言葉の一つ一つの持つ力に頼っていることが多いから…その部分は葛飾文芸クラブに開陳させていただきたい、、ちょっとキザですね、、それほどのもんかい。
間違いなくそれほどのものではないのですがこの方法しか知らないのでこれで行きます。
こねくり回した結果だけを微助っ人クラブのグループLINEにアップする。
文学的考察部分(こんな言葉を平気で使うような厚かましい人間に成り下がってしまいましたが、どうせ耳の聞こえが悪いので何言われてもあまり気になりません)については申し訳ありませんが葛飾文芸クラブに記録したいのです、、びすこさんはじめ少ない読者の皆さんよろしくお願いいたします🥺
情報の話ですが、私はこのところ情報ギャップについて考えています。社員の一組が年末年始の10日間をスペイン領のカナリア諸島で過ごすことになり、テネリファに飛ぶというので、「テネリファって史上最大規模の航空機事故があったところよね」というとポカンとしている。あれは1977年、濃い霧の中でKLMとパンナムの航空機が滑走路で衝突し、大事故になって500数十人が死んだのですね。これは世界中で報道され、私はたまたま生まれて初めての海外旅行先で聞いたのですが、実はそれを知らなかったこの人、旧東独の生まれだったのです。
東独から来た人は亭主の会社に結構いて、一部は40代とか比較的若いけれど、1970年代にはハイテイーンだった人もいる。そういう人と昔話をすると、どうも噛み合わないことがあって、それは旧東独では情報が非常に限られていたためと気がつきました。共産主義・全体主義、最近ではロシアやイランなど、国家が報道規制している専制主義の国が一向に減る気配はありませんが、そんな社会で育った人は、ある時期のある出来事を一生知らないまま、ということもあるようです。
特に庶民は、自分が知らないでいることも知らない。研究者や学者はそれに気づいて、ドイツ統一後にキャッチアップする努力をしてきたようですが。もちろん誰だってすべてを知ることはできなくて、私が知らなくてドイツ人が知っていることだってたくさんあります。でも、世界各国で報道されていたことを、同じドイツ人で知っている人と知らない人がある、ある時期つんぼ桟敷に置かれていた人も多い、という事実に、言論・報道の自由ということの意味を改めて考えさせられました。