5月3日(金)
ガラガラのプールを存分に楽しめた。連休っていいですね、普段混んでいるところが空いている。
午後から、さあてと本でも読もうかなぁと思ういかにも休日気分の好さ。
この歳でレイ・ブラッドベリの「華氏451度」(早川書房2014年6月発行/新訳版)を初めて読む幸せ。この本は1953年に書かれたと言うからびっくり仰天です。僕が未来小説を書くなどちゃんちゃらおかしいとはっきり自覚できます。
僕が若い時、慌てて読まなくてよかった。熱心な読書家でなかったことが幸いした。
気の合う友人に久しぶりに会った気分。無事でありさえすれば、こうして会える(ブラッドベリは2012年91歳で死去していますが、若い時の彼が本の中に生きている、、と感じられます)。彼が幻想作家と呼ばれていることを今知りました。
昔、レイ・ブラッドベリの文章を読んでいて、詩人だなぁと思った事はありますが、やはり抒情詩人とも呼ばれていることを本の帯の記述で初めて納得です。
ちなみに詩人だなぁと思ったのは…その短編集の中の一編で、若い女教師、ミス〇〇に恋心を寄せる子供がその後変遷を経て、成人して恋人(まさにミス〇〇に生き写しの恋人)を得たその日…昔恋心を抱いていた女性教師〇〇が引き合いに出され、、その日はまるでミス〇〇のような輝く日曜日であった、と書かれてあったことです。
この1行によって…ありそうもない、こんな話はあり得るかもしれないと現実感を持って読み終えたことを思い出します。
それはまるでブラッドベリが…ほらあなたも知っているでしょうミス〇〇のあの明るさを…とでも言いたそうに強引に読者を丸め込む手法…今、そうだったのだと気が付きました。楽しく騙される快感、、。
僕はその朗らかな女性賛美にも多分まいっていたのでしょう)
さて、昨日読み出した本は夕方までに第一部だけ読んでパタンと本を閉じました。晩酌の時間がきたからです。若い時に読んでいたら多分夢中で一気に読んでしまったろうな。
若いときのブラッドベリにこの歳で会うのですから、そのくらいの距離を置いておいてちょうどいい、、なんちゃって気取っちゃってごめんなさい😅
(鍵盤楽器の練習が全く進まない…指が動かないだけではなくリズム感の悪さが改めてわかったからです。
がっかりするところ😞でしょうが…そうだそうだ、僕ってこんな感じだったんだと新しい発見をした気分の方が愉快です、負け惜しみでもなんでもありません。自分自身には点数が甘いことを再認識しました。
こんなにひどいとは思わなかった…あはは。
その他にも、自分自身を勘違いしていることが多いだろうなと改めて思います。自分発見の面白さに目覚めます。
痩せてひょろっと背の高い飄々として姿勢の良い男の小学校の音楽の湯浅先生を思い出しました。原稿用紙の升目のような四角い大きな字で…通信簿に…低音であるがご心配無用…個性がはっきりしていてよい、、と書かれ…5段階評価の2に○がしてあったのを思い出しました。子供の心がわかる先生だったと子供の僕にもわかりました。
一昨日立石図書館のリサイクルコーナーから数冊いただいてきました。図書館の放出品ではなく一般の方が勝手に置いていった本だと思います。僕自身では絶対に選ばないような本と出会えるので、ついいただいてきてしまいます、ありがたい。日本庭園に関する岩波新書も混じっていました、ラッキー)
焼き芋ルームの004と005のコメント欄が読めないんですけど(消えちゃった?)、どうしてでしょう。
私もひと昔の作家の作品を読んでいて、30代とか40代で書かれたのに随分老成していたんだなあと思うことがあります。テレビや新聞や、後にはインターネット、さらにはLINEとかインスタグラムで興味が拡散される前の時代には、恋愛や憧れも集中していて、それだけ純粋だったのかもしれませんね。同時に、今の老人の多くは、そういう記憶に支えられている部分があると思います。
自分自身には点数が甘い、なんて当たり前ですよ。誰かが「70過ぎたら自分が神様じゃ。反省なんかすることあるかい。三省なんぞもってのほか」って言っていました。