5月4日(土)
昨日はプールが休みなので運動不足解消にまずは堀切方面へ…
ことりカフェさんがお客さんでいっぱいだったので…そのままとんぼ返りする途中に妙源寺の庭園が一般開放されていたので中に入って見てきました。自転車に乗っていたのでは素通りしておしまいなケースかもしれない。自転車を処分してしまって正解(妙源寺には、儒学者の安積艮斎の墓がある)。
楓が、とても軽やかに枝を広げてまるで翼みたいに見える。庭師の鮮やかな手入れ。つくばい?(石で作られた水盤)には紫陽花の色違いの花が房で浮かべられていて日光に映えます。
途中で庭師の人が苔玉を無料で作らせてくれました。庭師の方の小さなお嬢さんが指南役です。
ちゃんと根のついた笹を野球のボールより大きい位の土団子でかため、その上から乾いた苔をペタペタ貼り付けて細い糸でぐるぐる巻きにして出来上がり。ポリ袋に入れてもらって持って帰って小さな植木鉢に収めました🪴
図書館によっ寄って予約しておいた120センチ位の高さの細長い引き出しを台車を借りて家に運び込みました。
リサイクル品に興味がある方で作っている会のメンバーが興味を示してくださったので家に1時保管です。もし現物を見ていらない、となれば僕が使えばいいだけのこと。
どちらにしても、これを機会に処分しあぐねていた背の高いスチール棚をリサイクルに回すことにしました。
お金も物も回さなければアイデアも出ないし、世の中活性化しない、、ちょっと大げさですが僕はそう考えています。
(昨日も本は読めませんでしたがすっかり休日気分が味わえました。都内がなんとなく空いていると思うだけで気分がいいです。
プールでニ、三の方とお話ししていると…中に、連休に人混みに出かけるのはこりごりという方がいらして、なぜかほっとしました。
ところで…僕は確かにここ2 、3年で変わった。強迫観念が極端に減った。だから平和なんだと思う。凡人の人生はこんなもんだと思えばこんなもんだろう…でもなぁ
切羽詰まった強迫観念があったからこそ正岡子規が俳句の発句をして、独立した俳句たらしめた、、おかげで時代が変わって令和の僕だって楽しめる、俳句一つで人がつながる、これってものすごいことじゃないのか?
なんとかしたいと思う心が人を動かす事は間違いない、、切羽詰まった気持ちのない人間に…何ができるのかできないのか。
せっかく生き延びた命、成し遂げたい事は無いのか?
世の中このまま先進んでいって着地点は間違いないのか?
この1年間はぐずぐずしていようと決めた。せっかくのチャンス何をすべきか考える…考える時間が与えられたことに感謝。
朝寝朝酒朝湯が大好きで身上潰した小原庄助さんほどの資産もなければ度胸もない。
というか、まてよ、、よく考えたら朝寝朝酒朝湯位その気になればたいしたお金もかけず、毎日だってできる、、ここは天国ではないのか?
人々の長年の思いは成し遂げられたのではないか?
東京の端っこの葛飾区の四つ木の物事の表面だけ見ていればそう思える。
そうなると今度は心配も出てくる…箍(たが)を外されてもハメを外さず気を確かに持って僕らはこの先、生き延びていける能力を備えているだろうか?
軍拡競争を見よ。世界は協調を持ってすれば何とか保たれそうなのに、羽目は、わざとはずされているのではないか?疑ってみても良いだろう。
疑ってみるためにはまずは問題を立てなければならない。問題を立て検証しつつ解決に向かって努力する。
そこで初めてやるべき使命が浮かび上がってくる。その使命を成し遂げるために命をかけられる人は…
つまり何かを成し遂げたい人に自分の能力なんか疑う暇はない、能力なんか問題にならないというのが、本当のとこだと思う。
熟考の末に成し遂げたい思いがある。それこそが本当の能力のような気がしてきました)
苔玉の写真を見たかったんですけど。庭師の方の小さなお嬢さんが指南役って。そういうこともあるんですね。
朝寝朝酒朝湯が大好きでも、今は身上潰しませんよね。若いときからこればかりやっていても、生活保護もらってそれで生きていける人もいたりして。年とったら年金がいくらかはあるし、朝酒飲んだからって暮らせなくなることはない。ある意味、いい世の中になった・・・といえるかどうか。
こちらでドイツでは、失業者がたっぷりいるのにレストランやカフェで働く人がいなくて店じまいするところが増えています。いわゆる工場で働くなんて超カッコ悪いそうで、中小企業も困っています。それで、失業手当の期間を短くするとか、生活保護の額を減らすとか、提案されていますが、今の政権は「労働者と貧しい人の味方」だそうで聞く耳持ちません。これでは税金を払う人がどんどん減って、各種手当の原資も無くなると思うけど、政治家は次の選挙の票しか頭にないから。
どうして働きたくないんだろう。不可解です。働いてこそ休日が嬉しいはずなのに。自分で稼いでこそ買い物も楽しいはずなのに。Y世代もZ世代ももう私の想像力を越えています。(こんな愚痴をいいながら年取っていくのも考えものだなあ。)
あ、今日の新聞記事に「退屈の勧め」という記事が載っていました。現代の特に若者は、スマホだの何だのと気晴らしがいっぱいあって、次々と情報が与えられて、これでは創造力が不要になる。ぼんやりしている時間がないと、アイデアは出て来ない、とありました。