12月2日(月)
(今日の日記も微助っ人クラブに載せる原稿になってしまいました…本当に少数の読者の皆さんごめんなさい)
微助っ人クラブにまだ40数人が残っている。僕ばっかり喋っていてちょっと恥ずかしい。
こういう時はオープントークで質問していくしかない。
ご存知のようにオープントークは…はいorいいえ、で答えるだけで会話がおしまいになるクローズドトークの反対、会話がぷっつり途切れない話しかけ。
その質問は最後にさせていただきますので…いつものように冗漫なこの文章は飛ばして最後の方だけお読みいただく方法もあります。
(今オープントークを念のためにググったらLINEのオープンチャットという言葉が出てきてこれはまさに微助っ人クラブと同じような気楽に使える機能でしかも5000人まで参加可能とあります(LINEグループ500人まで)。
このオープンチャットを使えば楽に拡張可能ですでにすぐ使える状況、おまけにさらに気が合いそうな人とも別の小グループを編成できるようです。そこまで用意周到。もう個人個人が案出する必要はない)
皆さんはこの言葉と機能をもうご存知だったのだろうなぁと思うと…僕はまさにピエロ。指名されてもいないのに勝手にちょこちょこ舞台に上がったピエロ…この役回り結構気に入ってはいますが😅)
それでも本人は少しも変人だとは思わない。新聞もテレビもラジオも積極的に利用しない。かといってYouTubeもほとんど見ない。暇人だからそんなことができるのか?
僕の情報源は近くにいる人です。耳の聞こえが悪くなってなおさらそうなりました。
2年ほど前に今の住まいに移ってきて、路地の奥ではあるものの幸い、コンビニ、スーパー、2年前から銭湯♨️がわりに通っているジム、おまけにバス停と駅が近いので、まぁ気ままに生活できています。
いつまでこんなご気楽な生活ができるかわかりませんが出来る限り続けたいですね。
今回思い立って微助っ人クラブを呼びかけていささか強引なグループ作りでしたが皆さんを実験にお誘いしたつもりはありませんが僕自身を実験の資料?として使っていただくのは多分あまり抵抗はないと思います。人体実験は困ります😅
自己顕示欲が強い。変人たろうとしている。こだわりが少ない。子供や大人がニコニコと言葉を交わしているのを見るのが好き、その時だけ平和を感じる。取材を受けるのも好き。取材するのも嫌いじゃない。できれば正直でいたい。生きた化石。
上にちょっと羅列してみましたが中学校の頃友達に言われたこととか今までちょっと親しくなった人、会社勤めをしていたときの僕の上司などが僕のことを評して発した言葉と、自分自身に対する感想がないまぜになっています。
哲学者のように自分自身を突き詰めていくような態度は僕は取れない。自分自身がひとりで立っている気がしていないからです。おこがましいですが少しは人を支えてもいるしそれ以上に支えられてもいる。
そんな実感もあって、自分自身の成分は自分だけでできていないという直感が働いているようです。
自立しないほうがいいと思います。とりあえず迷惑のかからないように自立していると言っても周りにあるものは僕を支えるものばかり。恩恵ばかり受けて気分が悪い。僕だって人を支えたい。微助っ人クラブの1人。そんな考えを持っている人もいるのかなと思って呼びかけたのかもしれない。
ちょこっとだけあちこちに首突っ込みたい。子供の遊びだ。僕は自分用の遊び場を作ったのか?まぁそれはない。人が集まれば遊び場ができるとでも思っているのかなぁ…それはある。
遊びは敵がいたほうが盛り上がる。その敵もつい最近、僕の周りの人が教えてくれた。
YouTubeだ。
その敵は地雷原の中にいるわけではないらしい。潜んでもいないしまったくのオープン。接近者は空中から鳥瞰して、その膨大な地球🌏をカバーするくらい蔓延している情報の中からちょいと欲しい情報をピックアップすることができる、いつでもどこでも時間と場所を問わない、奇妙キテレツな敵。
そんなYouTubeの存在に疑問を持っています。
真偽を見分けるのは自分のセンスのみ。YouTubeを見ない僕がYouTubeの恩恵よりも危険を感じるのはなぜか。
YouTubeの魅力にはまっている人に最近接近できた。博覧強記で話に筋が通っている。筋が通っていることの危険を感じる。一筋縄ではいかないのが社会と思っている僕はそこにちょっと不安を感じる。
自分自身のセンサーに引っかかってくるものをあちこちまさに取材活動して話を作り上げる…それがきちんと筋が通っていたらそれは真実に近いと思わない方がよっぽどのへそまがり。でももし自分のセンサーが同類を求めているとしたらそれはちょっと僕みたいなものにとっては居心地が悪い。
それがちょっと面白くない。
嫉妬しているのかもしれない。
生身の人間などという取り扱いにくいものよりずっと魅力的。接近したい時だけ接近できて欲しい情報が満載。そのついでに自分と同意見の人を求めていって何が悪い?
悪いと思います。同じ意見の人が集まると違う意見の人を排除したくなる。あっという間に仲良しクラブの出来上がりだ。それが面白くない。それを僕は悪いと思う。
そんなこと言ったってYouTubeはもしかしたら現場なのだ、多分。自分の網を投げればごっそり情報がいただける漁場。
YouTubeは取材源!
そうだとしたら、そこは現場なのだ、多分大変な数の人たちにとって。
だとしたら自称現場主義者の僕はなぜその現場に赴かないのだろう、つまりYouTubeの世界へ。
YouTubeという巨人が世界を席巻している…ん?どこかで聞いたセリフだな😅
現場主義者の僕は圧倒されています。僕の周りに現場はない?!YouTubeの中にある?!
未来社会の真っ只中にいきなりたたされたようで足がすくむ。
一瞬仮想現実の中にぶち込まれたような…浦島太郎のような心境になってしまう…
妄想は自分自身の中に閉じ込めておけるものだろうか?
ところで僕の最近の情報源は図書館からリサイクルにされた本だ。
リサイクル故に10年から20年前の本が多い。不思議な体験。10年前に僕がいた環境とは別の他人の10年前の環境がそこにある。
YouTubeなんかよりよっぽどスリリング、だと思うなぁ…ほとんど自分で見に行かないのでこれは想像です。
それでもやっぱり気になるYouTube…何者なんだろう?
個別の人間との接触なんかただ煩わしいだけ、そうなのか?多分そうなのかもしれない…めんどくさいことが多すぎるから…自分の好きなときにその時の自分の気分に合うものがその現場にはある、よりどりみどりで欲しい情報がそこにある…
素直に情報取りに行けば良いだけの話なのに…それができない僕は…未来社会の中で立ちすくんでいるようなものです。
…お願いします…あなたにとってYouTubeとは?
YouTubeについてどういうお付き合いをしているか教えていただけませんか?
生きている化石のお切なるお願い聞いてくださいませ🥺
以下は今日のおまけです↓
(YouTubeがあるからめんどくさそうな付き合いの微助っ人クラブ には、加入するメリットを感じません、、
そう言われて反論する方法はただ1つ
YouTubeも面白いけどこちらも面白いですよと誘導するしかない
人間関係のめんどくささを極力薄めてありますのでそこを我慢すればもう一つの現場が見られますよ…う〜ん、いまいち迫力に欠けるなー
すでに勝負はついているのに…ドンキホーテの気分もしてきた
頼るべき巨人かもしれないYouTubeのおかず位にはなれるかもしれない…だんだん声が小さくなって寄らば大樹の陰と寄り添いたくなる、でも頑張る、あはは🤣
声にならない声を拾っていく…所詮、華奢な頭しか持たない僕にはに荷が重いのかもしれない
微助っ人の集まりが、声にならない声を拾っていくマイクの役目はできないか?それは面白いことなのか?それを面白いと思わなければ微助っ人にはなれないのか…そんなバカな…この独り言は所詮微助っ人、1人分の独り言でしかない。
銭湯代わりのジムって、ジムに風呂やシャワーが付いているの?ネットカフェで寝る、なんて話を聞きますが、本来の目的から外れて、サービスで付けた機能や設備の方が目当てになることもあるのでしょうね。
今日、難病で2か月余り入院してやっと自宅に戻った友人に電話したら、週に三回ヘルパーさんが来てシャワーを浴びさせてくれるって言っていました。最近、54歳で浴室で亡くなった女優さんのニュースを聞いたけど、ヒートショックというのもあるんですってね。
今車椅子なので、料理はずぶの新米であるご主人にパスタの茹で方や、ソースの混ぜ方を指南するのがなかなか大変だと言っています。
もう一つ思ったのは、彼女オシャレだからきっとシャンプーや石鹸や化粧水にも一家言あるはずなんですが、男の人ってなかなかそういう点まで気が回らない。普段から奥さんの好みや趣味に関心をもって暮らしてほしいものです。って、過剰要求でしょうか。