12月1日(日)
(今日の日記もこれをこのまま微助っ人クラブのグループLINEに流そうと思います…こんなものを読まされで辞めていく人も何人かいらっしゃると思いますがそれはそれでオッケー。また募集すればいい)
久しぶりにへこみました。介護現場の現実と、縁の下の力持ちみたいな社会活動の劣悪な労働環境、、微助っ人のリクルート活動をして良かったと思いました。
僕にとってよかった。いっぱし苦労人のつもりでいましたが何もわかっていなかったことがわかってへこんだわけです、昨日。
現場は…「わかっているんだけど忙しさで何もできない」。やっていることが役に立っている事は自他共に「目に見える」んだけれど「その意味が通りすがりの人にきちんと伝わらない」
発信者はしっかり疲れている。通りすがりの人もある意味疲れている。疲れていては基本的には交流は深まらない、それは、それこそが本当の貧困だと、、、貧困とはなんだ、、「それ」だ。現実が見えてこない感受性の欠落。
やっと気がついた昨日。紛うことなき微助っ人リクルート活動の成果。
お金がなくたって貧困でも我慢できるには理由がある。人様のお情けにあずからなくても自分はきちんと生きているという誇り。誇り高き確信的路上生活者。そんな人を知っている。道端で空き缶拾いをしているその人と会えばお互いにエールを交わす。
ご近所の、その人と口をきいていた方に頼んで路上生活者脱出ガイドを渡してもらった。
ご近所の人とその人が話してる機会をとらえて…僕の家はそこの路地を入った所の左の家です…いつでも保証人になりますので来てくださいね…その人は手を振って笑うだけで取り合わない
後でおばさんに聞くと…あいつさぁ荒川で寝てんのよ、、それでさぁ役所で嫌な思いをしたみたいだよ、、
それがその人が手を振った理由。
そんな人を1人知っているだけで冬が来れば河川敷であの人は無事だろうかと思いが及ぶ。
その辺の見えているようで見えていないところを伝えるのが微助っ人、、仕事の1つが見えてきた。まぁこれは僕の1人分。
僕のフィールドワークの1つを紹介したまで僕も、もうやらない。そんなことを繰り返したって世の中何も変わらないから。
さてさてまだ始まってもいない微助っ人クラブ、、こんなクラブなの???
まさか、、そんなことあるわけないじゃありませんか。そんなの全然面白くない。
考えてみたらずいぶん若い人が集まってくださっている。アーティストもいらっしゃるようだ。
50人では少ない…じゃあ何人?と昨日聞いてみた… 100人!
ただし釘を刺された、、それぐらいがちょうどいい(それが限度)。かつて学校の教師をしていた人の実感、、僕の直感は全くあてになりませんがなんとなく「あたり」(この辺かなぁというポイント)がついてきた。
間違ってもいい突っ走れ…僕の友人が昔僕に話してくれた犬の話。犬を数百キロ離れたところに置いてきぼりにする実験(本当になされたかどうかわからない)。
いくら嗅覚が優れている犬といえども数百キロも離れていては戻る手がかりがない。
犬は100キロほど🐕突っ走る。手がかりがない。元いた地点に戻る。別の方向に100キロほど突っ走る。そこで手がかりがなければ元の地点に戻ってまだやっていない方向に突っ走る。それを繰り返して円を大きく広げていくらしい…そして…もといたところに戻るとか、、。
こんな話まともに聞けるものではありません。でも耳に残っていた。
ちょっとキザに言わしてもらえば…今僕らはどこにいるかしっかりとつかんでいるわけではないから…突っ走るのはみんな疲れているので…ぼちぼちぶらぶらふざけながら遊びながら歩いていこう…たとえそれが遊びに終わったとしても…遊んだだけ得、、それが微助っ人クラブ、、
こんな長話誰が聞いてくれるだろう、、この話で集まってくださった微助っ人のかなりの人が辞めたくなっただろう、、そんなことをしたいの?
まったくの勘違いです。これは微助っ人のたった1人分のつぶやきです。100人も集まれば烏合の衆がいつかきっと動き出す、こんなただで遊べる遊びを試みようというわけです。
これをするために、この実験をそれぞれの人が面白がるために最初から深い関係にない細くて薄くて浅い付き合いがメンバーシップ(クラブ参加の心得)のこの会を立ち上げてみたのです、、後付けの理屈。
こんな話誰が聞く?あはは🤣
微助っ人クラブに入りませんか…何をするクラブ?
僕もよくわからないのですが何か面白そうだなぁと思ってジョイントしてみました…ご一緒しませんか?
僕の友人に…勧誘するのにどう説明すればいい?と先日聞かれました。
僕自身がよくわかっていないものをちゃんと説明できるわけもありませんが、、僕はこのトークで行こうと思います、、僕もよくわからないのですが何か楽しいことやりたいなーと思って始まったんじゃないですか?酒飲みのつまみだと思いますよ。政治宗教信条に関係ない集まりがなさすぎる…でも結構みんな貧乏してる…食べて寝て適当に遊んで…貧乏している。貧乏の実感すらない。
こんなことを集まってくれた人にいきなり話していいものだろうか?
これが僕がやろうとしていること???
だて、にイライラモヤモヤしたわけではなかったことが一晩寝てやっと理解できる。
この時期これから始まる冬の炊き出し、、1度でも出てみたり手伝ってみたりすればいっぱつで事情がつかめる。
渋谷の美ヶ原公園というところで手伝ってみた。でっかい鍋で雑炊のようなものを作る…それを並んでいる人たちに次々にお椀に入れて配っていく。あっという間に100人分ぐらいの大鍋が空になる。その後やはり大鍋で作った紅茶入り牛乳を食後に配っていく…
これを始めた人もそれを支えている人もすぐにわかる。現場に入れば直感がすぐ働く。誰が現場を仕切っているかもわかる。誰が格好だけつけて、誰が本当に支えているかもわかる。
その後渋谷の近辺で段ボールで寝ている人たちに食べ物を配って歩く夜のボランティアも誘われましたが…とてもじゃないがヘトヘトで公園の片隅に使った鍋や資材をみんなでよってたかってあらかた片付けて(もちろんルール違反です…あちこちにルール違反の役所の警告が貼ってありました)。
そんなこと手伝ったの初めての僕はひたすら準備の食器洗いと、お祭り?が終わった後の食器洗いをしていたのですっかり手がかじかんでしまった。
洗っている時…そんなにやってたら疲れちゃうよ…声かけてくれたのは路上生活者に見えない路上生活者。きちんとした身なりをしている…聞けば…セイホでやってんの、ワタシ。他にも朗らかに周りに話しかけているおじさんがいた。その人も路上生活者。
荒川の路上生活者と今やっと結びつく。
いくら1人で気楽ったって、冬の荒川は寒いでしょうよ。風邪なんか引いたら、熱が出たら、どうするの。路上生活者もケータイは持っているのですか。そして重症の急病の場合は、救急車を呼べるのですか。日常の衣・食・住(これが問題)はまだいいとして、有事の際の手続きはどうするのでしょう。
大鍋で作った紅茶入り牛乳、というか、牛乳入り紅茶というか、ロイヤルミルクティーですね。お砂糖はお好みで。これが21世紀の社会鍋、もとは英語でクリスマス・ケトルというんだそうです。