11月28日(木)
仕事で疲れた時…もっと言ったら生活に疲れた時…いたわりの言葉が欲しい。たった一言が人を救う事はある。
挨拶は何のためにある。お互いを知るためにある。お互いを知るために挨拶は発展してきた。そんなことすら忘れている。忘れているその状況そのものでわかることもある。
唐突ですが…肉声を引っ張り出すために相撲の仕切りのことを考える。
何度も何度も仕切り直す。そうやってあたりの状況、お互いの心境を探り合い自分の体とも相談しているのだと思うと一見無駄な相撲のしきたりや決め事がとてもよく考えられているものだと今わかった。
今回思いついてから微助っ人クラブのメンバー募集をしてそんなことを考えた。こちらが冗談めかして連帯しようと呼びかけると最初はこちらの話を聞いてくれる。
次第にこちらが本気だとわかってくると相手は少しずつ固まっていく…つまり緊張度が高まる。固まると言う事はそもそも早くも防御態勢に入ったということだ。
心理的にも状況的にもとりあえず固まる事はとても自然な動物の反応だと思う。
微助っ人クラブ、当初の目的の半数の50人近くが集まった。LINEのネットワークが機能したということだ。
そこまで確認できたので中休みしようと思う。作戦タイムだ。自分自身にきている「躁」状態に水をぶっかけてもネットワークが冷え込む事はないだろう。
ネットワークの作りはじめから細くて浅いつながりだと断り書きを入れてきたのもとりあえずつながりをつけるため。
だからといって…気楽な付き合いなのでちょっと手を結びませんかという呼びかけであと50人を集めることは難しいだろうな。
僕1人で考えたって何も動き出すわけがない。集まってくださった50人近くの方達だってまだ真剣にこのネットワークをどう使うかなんて考え始めてはいないはず。
それでもともかく…海のものとも山のものとも知れない浅くて細い付き合いを始めるテーブルの周りの席についていただいた。
メンバー同士隣の席にいる人が誰なんだか、何をしている人なのかもかもわからない…
パーティーの始まりだ…あはは…我ながらいい気なものだと思う。
自分自身をもっと気楽にするために…こう考える。
僕に振られた役割は50分の1の意見を言うことだ。それだけのことだってとても勇気の要ること。
3人いれば万座の中、、とどまってくださっているだけで緊張感は高まっている…そしていつ逃げ出してもいいような立ち位置に誰もがいる…まさに社会の縮図…これは世間だと考えることにした。
正直な気持ちを述べるのがこんなに難しいとは思わなかった。
11月17日の日曜日思い立ってメンバー募集を始めたけど10日を過ぎてやっと休みが取れた。
恐れ多くも神が7日目を休めにした訳も少しわかったような気がする、、なんちゃって、お前はバカか?
バカでなければこんなことを始めることすら思いつかないだろう
どうせ私はバカですよーだ、あはは🤣
多分、仕事の疲れていたわけでもなく、人生に倦んでいたわけでもないある中高年(50代後半)の男性に、私は声を掛けずにはいられませんでした。日本を離れる時、ホテルを出てTCATから成田行きの早朝のバスに乗ると、まだ空いて、眠気の取れない私はちょっとぼんやりしていたのですが、ワンマン運転のバスの運転手さんのアナウンスにはっと目が覚めました。声も心地よかったし、一言一言がはっきりしていて、話し方が丁寧で、一瞬これは発声・発話の特別訓練を受けた人かしらと思いました。何よりも、この人は自分の仕事に悦びを感じているということが伝わってきて、降りる時、荷物も彼が出してくれたのでそれにお礼をいいながら、「お声もお話しの仕方も、とても素敵でした」と言うと、「えっ」とびっくりしたように見つめられたのですが、私の言葉がこれからしばらくの間の励みになるといいなと思いつつ、その場を後にしました。