11月9日(土)
甲虫、山椒魚、猫、、カフカ、井伏鱒二、夏目漱石が小説を書くために身体を借りた虫や両生類や動物だ。
カブトムシ(甲虫)は空を飛べる。
山椒魚は人目に触れずひっそりと暮らす両生類で仙人にでもならない限りそんな暮らしはできない。
猫は人間と同じ哺乳類でありながら人間よりも欲望が少なく、しかも独立独歩…な感じがする…変身願望の対象になる、、以上私見。
なんでこんなことを書いたかと言うと昨日読んだ本のせいだ。
脳のなかの幽霊: V・S・ラマチャンドランラン/サンドラ・ブレイクスリー/山本篤子=訳/2011年角川文庫(単行本は1999年7月同社より刊行)
今、突然変なことを考えた…絶滅した恐竜たちの記憶だ。恐竜たちが持っていた記憶は誰が引き継いだか?途切れてしまったか?同じ生物なのに…。
現存している動植物たちに残っていると考えた。樹木の年輪にそれが刻まれているように。
そして「それ」は僕たちを規定している。根強く規定している。その理由は…生命誕生以来何千万年を経ても、つまりどんな時代を経ても変わらない記憶(それがどんなものかはわからない)は、「変わらないもの」または「変わる必要がないもの」もっと踏み込んで「そこが変わってしまうとシステムそのものが維持しにくくなる装置」として残っていて、それが僕ら地球の生命体を根底のところで支えている。
この話題はここまで。
本に戻って、この本が取り上げている「意識」について…
もちろん犬や猫にも他の動植物にも意識はあるけれども人間のようにそれを意識できない、または意識する必要がない、と僕は考えた。
クオリア(クオリアは、我々の意識にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験のことである)、、はもちろん意識に直結している。
以下、本を読んで得た感想に僕なりに脚色してみる。
長い生物の歴史を通じて変える必要がないもの…それが意識の核。それを変えてしまっては意識そのものがどこかへ雲散霧消してしまう、、というのは僕の勝手な仮定です、以下のパラグラフも同様↓)
ついでに言ってしまえば「意識」には、長い何十億年もの地球の歴史も痕跡が残っていて、それが生命維持の原動力にもなっている。
それが人間の体のどこにあるかを問題にしているのは、意識とは何かをわかりたい人間だけだ。
植物を含む他の生物は気がついていないので問題ないのですが意識を意識した途端に人間は考え込んで意識そのものを惑わす種にもなって堂々巡りを繰り返すことになる。
意識が外部的な何かの力で簡単に変わってしまうようではシステムそのものが危うくなる。地球誕生以来の全システムの核の部分の変更を迫られることになり、何かべつのものに代替えされた途端、意識そのものが雲散霧消してしまう。
突然変異の知的生命体は消滅し、他の動植物と同じレベルに立ち返る。妄想は続きます↓
そう簡単にならないためにもう一つの仮説を立てた。
知的生命体として簡単に消滅しないためにどうするか、、意識を個体から分散させて遍在させるのだ。
1カ所にダメージを受けても他のパートが補完するためにはそういうシステムが適している。
こんなふうに考えてみたらウェブが地球を覆っているのは脳のシステムと似ているとでも強弁したくなる、、1カ所がおかしくなってもネットワーク全体ではそれが決定的なダメージにならない。
地球規模のシステムが欠けた部分を補完する、、なんちゃって。
意識は地球上のあらゆる動植物に存在している。それは「状況の変化」に対応するための「何か」。
地球の歴史の風雪に耐えて残った記憶のキモで、生命体を維持継続するためのエンジンのようなものである事は間違いないような気がしてきました(これで何か意味のあることを言ったことになるのか?)
脳は地球の歴史始まって以来、生物が代々連綿と受け継いできた過去からの遺産と考えてみるとちょっとほっとできる。
意識を意識しなくても生きていけるのに、意識そのもののありかがわからないと気持ち悪い生物が突然変異で生まれてしまった…それが人間なのかな?
ちょっとしたことを思い出した…小脳を全摘出してしまった人にその後現れた状況…大脳が一部、小脳の代行をしたという話、または、脳の半分を失った人が、つまり左右の脳のどちらかを摘出してしまったが、視界に不便があるものの(正しい映像を見るために首を回す必要がある)普通に暮らしているという身近な実例、、状況に適応する人間の脳を含めたその可塑性はまだまだ知られていないと思いました。
今地球を覆っているウェブが1人の人間と同じなのだと仮定した場合、意識はどこにある?意識そのものは地球上のあらゆる場所にあると考えられませんかね?
研究者は意識が側頭葉のどこかにあると目星をつけているらしいのですが本当のところは分散していてシステムのホメオスタシス/恒常性と安全性を図っているような気もいたします。
精子と卵子が出会って細胞分裂を起こし人間のあらゆる器官に変成して行った過程が体のどこかに年輪のように書き込まれている。つまり遠い昔の体の記憶そして記録、、多分上書きもできるのだろう、、そのような可塑性…想像するだにちょっと恐い位だけど、、どうかなー😌😒
仮にそういうものだとするといくら探しても簡単には見つからないはずですね、、分散している可能性もあるのだから、、以上僕の妄想ワールドでした😅
それはそうと、一体、僕はどこまで楽天的なんでしょう…人間はこれから進化すると信じています😌
まあ、話はあちこちに飛びましたが、、これで、まだまだ当分SF小説のネタに困りません…あはは🤪
猫は人間よりも要求が少ない・・・そうかな。うん、そうかもしれませんね。
面白いと思うのは、何かをしてくれ、とか、これをもらいたい、などという要求は少ない一方で、これはしないでもらいたい、これを出さないでほしい、こんな風に構わないでほしい、という消極的欲求は結構あること。そして、それはかなり堅固な欲求です。
これを書いていて初めて、自分が猫に共感を覚える理由が分かりました。