10月21日(月)
本を読んでいる時面白い箇所感心した箇所には付箋をつけていく…ところでその付箋をつけたところをもう一度見る確率、僕の場合1%位です。
なぜか…付箋をつけたことで安心してしまうからです。付箋をつけたところを読み返すとなんでつけたのかわからない箇所もあります!?
本を読みながら重要箇所をマーカーで印をつけたり赤い線でわかるようにするようなものと同じだと思いました。
マーカーは抵抗があります。2度目に読んだときにマーカーに影響を受けてしまうような気がするからです。
「ここは試験に出るぞ」という脅しを自分にかけることで安心してしまうその気持ちの問題なのかなと自分自身を勘ぐりました。
本を読む時も人に接するのと同じ。虚心坦懐、素直な心で臨もうと再確認しました。
僕はすぐに横道にそれてしまう傾向が強いので…何度でもそのスタート地点に戻らなければならない。
マーカーで印すべき箇所はそこだ。
(昨日はジムでいつものメニューで体動かし帰宅して寝るまで家に閉じこもりました。
そうしようと思って閉じこもっていたわけではないのですが、、多分そうした方が良いと体で感じたのだと思います。
読みかけの本とか、いまいち手が届かない本、、つまり読むのに「勢い」が必要な本に手を伸ばす準備運動をしていたのだと思います。
ぼーっとする時間は、本当に貴重です。
昨日の夜ウイスキーのお湯割りを飲んで、冷蔵庫の残り物の食材を適当にアレンジして腹を満たしバタンキューで目覚めたのがちょっと前、つまり夜明け前。体も頭も適当に疲れていたのだと思うと気分がいいです。
ジムにはいろいろ面白い運動器具があるのですが…そんなもん使う気は全くありません。
自重トレーニング、自分の体の重みを使って運動するのが僕には合っている。腕立て伏せ、四股踏み、スクワット、、その後、クールダウンはゆっくりと泳ぐ、、最近のルーティンです)
私も読書しながら付箋をつけて行きますが、本によってはそこを再度確認する確率は8割以上です。すぐには再読しなくても、後日(だいぶ経って)見ることは多いので、友人が「伊藤屋」で買って送ってくれた付箋はとても役に立っています。というか、そこまでして送ってくれたのだから、無駄にしてはいけない、という気持ちがあるみたいです。
私の本好きは父親譲りですが、書籍という物に畏敬の念すら持っていたような明治生まれの彼と違って、中身が理解でき、できれば共感を誘ってもらえればいいので、私はわりと本を雑に扱います。袋菓子なんか食べなら読むため、粉を落としたり、砂糖をこびりつけたり。本の帯とかジャラジャラ紙はサッサと捨てる。
なので、図書館で借りるのは躊躇します。汚したら大変。尤も、日本の田舎ではそういうちゃんとした図書館はないんですけど。
図書館といえば今を時めく隈研吾が高知の山の中に建てた「雲の上の図書館」というのを見に行きました。建物も立派ですが、蔵書の量も相当のものです。県民であれば10冊まで貸し出しOK、返却は郵送でも、というのが嬉しい。(過日丸善で注文しようとしたら絶版が多かったので、これはもう借りるしかありません。)今回は離日が迫っていたので諦めましたけど。
休日でもないのに子供が結構いて、広い階段に座ったり、大きなクッションに身を横たえて本を読んでいる姿がほほえましいと思いました。