10月19日(土)
僕が気が多い。最近は気が多いことを苦にしないことにした(気が多いのは一種の病気だと思う)。
気が散ったら気が散ったほうに赴く。
例えば本を読んでいて部屋が暗いなと思ったらすぐ明かりを調整する。
今はLEDなので明るさの調節も暖色から寒色系まで調色も簡単。
料理を作っていてほかことを思い出したら、すぐできることなら料理を中断してそちらのほうの整理とか準備をやってしまう。
それがややこしいことだったら後ですぐ思い出せるように着手の形をとっておく、例えば道具を出しておくとかです。
話が突然変わりますが…人間の生活なんていつだって中途半端。それでいいことにします。
75歳でケリがついたことにして後は小さくケリをつけていく。
散らかしながら片付けていく…結構面白い。
(昨日兄の所へ行って赤羽駅前で買ったカツ丼弁当を一緒に食べた。
爪を切ってあげて、四方山話して、来月の兄の孫の七五三祝いに僕も同行することにしました。
僕の耳の聞こえの悪いことで兄もイライラするようでしたけど、、あのね、、僕の耳の聞こえが悪いことは…最近はみんなも諦めているんだよ… (だから兄貴も諦めてね…)、、補聴器を使えばいいじゃないか…あのね…補聴器はね、、嫌いなの、、
まぁこうやって兄をはじめ他の皆さんにも諦めてもらっています…
その結果何が起こるかというと…皆さんの話は聞かない、僕の話を一方的にするということになります…
でもよくよく考えてみればこれって昔から変わらない僕のスタイル…あいつはしゃべらしておけばよい…ありがとう…あはは😅)
私、聴力にはわりと自信があったのですが、日本での検診で耳が遠くなっていると指摘されました。ちょっと検査の方法がおかしかったので、余り気にしてはいないものの、そういえば近年聞き返すことが随分増えたなと感じます。それより、私、テレビ・ドラマの台詞がちゃんと聞こえない。まあ、ストーリーが分かっているので、勘で何とかなりますが、細かい部分がどうも。これがニュースの報道だとさすがにアナウンサーは滑舌もいいし正式に訓練されているので、聞き逃す箇所はありません。
一番がっくり来たのは、東京でコンビニに寄って買い物をしたとき、1150円を950円と間違えたこと。センヒャクゴジュウエンがキュウヒャクゴジュウエンに聞こえたので、1000円出したら、1150円ですけど、とえらく不満そうなな顔つき。慌てて追加を出しましたが、弁解させていただくとその女性の売り子さん、明らかに外国人(東南アジアかな)で、センヒャクの部分の発音がはっきりしなかったのです。特にセンが聞こえにくかった。
今は空港でも小売店でも東南アジアや南アジア(バングラ、インド、パキスタン)、ネパールなどから来た働き手が多いのですが、この人達に「べらべら」の日本語を話せる訓練をする前に、正確な発音とイントネーションを習得させてほしいものです。
それと彼・彼女たち、敬語を使うように言われていて、「ございます」とか「いたします」とかを使うのですが、その発音がどうのという前に、こういう表面的な敬語を仏頂面で口にするのは止めてほしいな。意味や意図が分かってないので仕方ないんだけど、マニュアルの敬語と無愛想な顔つきのギャップには、ちょっと笑ってしまいます。
小うるさい婆さんより。