10月18日(金)
仕事…といってもこの期に及んではできる事はたいした仕事ではないのですがそれでも毎日少しずつ積み重ねていく感覚が貴重に感じられます。
並行して違う仕事を進めている感じを持つだけで若い気分でいられます。
色々な場面に対する対応力が増す、とでも言いたくなるほどとりあえず次善策が思い浮かぶようになりました(なんかこんな言い方はいっぱしの仕事人みたいで楽しい😅)。
誰でもそうだと思いますが1つのことにかかりきりで、ああでもない、こうでもないと考えているよりは小さな仕事を同時に進めることで他の仕事に対しても良い影響があるように思います。
集中しない代わりに頭が煮詰まることもない。
集団で取り組む大きなプロジェクトでもない限り僕らの生活上の目論見なんて気楽なものだ。
失敗したところで別に大きなお金をかけたわけでもなし、、なかったことにすればいいだけのこと。
トライ&エラーを繰り返しながら人間関係を作っていく。自分のことも相手のこともお互いに少しずつわかっていく方が楽しいし、協働している感じがする。
来月は僕が76歳の誕生日を迎える月。75歳はキリのいい年齢だ。一区切りはつかなかったけれど来月から新しい気持ちで再スタート。
つまり次のステージをこなせるように体も気持ちも整えて行く。
どんどん老化していく項目を数え上げるよりもどんどん新しいことを始める項目を増やせば気持ちも若くもっていられると思う。
ハードルを上げるのではなく接点を増やしていく感覚。その過程で人と人とがつながっていけばいいなと思う。
今日は兄の所へ行って用事を済ませます。兄の孫のひとりの七五三祝いに出席するための予行演習です。年寄りが出かけるためにはそれなりの準備と心構えが必要ということです。僕も付き合います。
兄は孫たちの成長が早いことにびっくりしていました。
脱皮を繰り返すような成長の早さに年寄りが驚くのは多分万国共通。
そんなことより年寄りは年寄りらしく楽しく生活する事に集中した方が良い。それが後進に対する遺言がわりになる、僕はそう思います。
昨日は四つ木御殿へ行って坪庭の植木を少しもらってきた。ついでに大きな植木鉢代わりの火鉢も空になっていたので家に運んだ。
大小の植木鉢に持ってきた植木を植えて路地の奥に置いてみたらなかなかいい感じ。
大きな火鉢の植木鉢も飾ろうかと思ったけど重苦しいのでやめました。路地の奥には控えめな植木がよく似合う。
昨日ジムの行き帰りに道路を這うてんとう虫🐞に出合った(まさかとは思うけど、行きに出会ったお前さんかい?)
夕方、近くのセブンイレブンに缶ビールを買いに行った時、立ち止まって小川のメダカを少し見ていた。
植木鉢に買ってきた腐葉土をつめている時たくさんのミミズに出会った。
近くの空き地に飛んでいるシジミ蝶にもよく出会う。
小さな生き物でも動いているものは目立つ。
高齢者だって動いていれば目につくだろう。
ウロウロしているだけで風景の一部になれる。
てんとう虫で思い出しました。亭主の田舎の家は森に囲まれているのですが、その中に今年亡くなった義兄が祖父から譲り受けて売却した大きな家があります。今の持ち主はだいぶまえに奥さんを失くし、町に住むガールフレンドができて自分の大きな邸宅は不要になったのですが、数千万円で売りたいと言っても、50年来何も手を入れてないため修理・改築の費用が半端じゃない。
それより問題は広大な庭で、そこに古い大きな針葉樹があり、ハリケーンなどが来たら倒れる恐れがあるので、その家に関心をもって見に来た夫妻が、これはいずれ伐るしかありませんね、と言ったら・・・今は持ち主でさえない義兄の妻が「環境保護団体がそれを許しませんよ」という。なぜかというと、その大木はクワガタの高層マンションになっていて、上から下まで無数のクワガタが居ついているんだって。
ドイツ人って極端な人が多くて、そういう同好の士が集まって団体行動に出ることがしょっちゅう。環境派の人々の暴力的な正義感にはいつも辟易しているのですが、こんな風潮が「モダン」「西洋風」として日本などでマネされているのは嘆かわしい。
でも、その議論で私が面白いと思ったのは、それよりも「クワガタ」(甲虫類・クワガタムシ科)のドイツ語でした。ヒルシュケーファー、つまり鹿のカブトムシっていうの。日本では頭の上の「鍬形」とされる部分がドイツ人には鹿の角に見えるんですね。うーん、農耕民族と狩猟民族の違いか、などと考えてしまいました。
さて、「いつも正しい」主張をする義兄の妻の登場で、それまでは家を買うことも考えていた夫妻は、こんな隣人がいたら窮屈な生活を強いられる、とさっさと撤退してしまったので、当分クワガタさんたちのマンションはそのままです。