9月30日(月)
自由の庭へ、リサイクル用に本を持ち込む際、その上の掲示板にいつまでも掲示されたままになっていた、ぼくの葉書通信をはがして持ってきた。
4年ほど前のものだ。中身を読んでみればしみじみ懐かしい。
葛飾文芸クラブに言及している。
発足のための第一回の会合がコロナ騒ぎの最中の2020年の3月28日土曜日午後2時に自由の庭で開かれたことが記されている、、あれから4年半も経っているのだとわかる。
例によって僕が適当なことを言ってさっさと帰ってきてしまったと書いてあり、そのことに関して後に残った方達の間で一悶着あったと後で聞いて、、赤面の至り。
考えてみればこれは僕の常套手段で…何かをスタートする目的で人が集まれば何かが始まると固く信じているところがあります。
そんなことを繰り返しで、恥をかいたことの方が多いのですが、出会いから始まった人たちに助けられてかつて、仕事にありついたことも確か。
馬力のあったまだ若い頃の習慣がいまだに尾を引いている、、恥ずかしきことのみ多かりき、、フーテンの寅の便りは、僕のセリフでもあります。
そろそろやめる潮時?どうかな?フーテンの寅が何かを成就した、、なんて話は面白くない。
恥をかくのに努力はいらないけれど、、少なくともさまよっていなければ風景が停滞してしまう…それは面白くない。
この焼き芋ルームメモ…あと半年続けてからまた考えます…あはは。
半年続けて、止めないで、続編としてはいかが。まだ終わってないから、これからゆっくり考えればいいのですが。
若い頃の習慣が尾を引く、というのは、慣性ということでしょうか。よほど強い力だったのですね。
命長ければ恥多し。「寿ければ辱 多し 」「寿則多辱」とも。荘子さまの言葉ですってさ。
恥かかないために命を縮めた人って聞いたことがない。この世の恥はかき捨てと行きましょう。