9月23日(月)
必要なものは全て落ちている。最近そう思うようになりました。
リサイクル品はおろか捨ててあるものまで僕はよく見ます。
なぜリサイクルに回されたのか…なぜ飽きてしまったのか…ゴミだったらなぜ捨てられたのか…捨てるようなものをなぜ買ったのか?
ここ2 、3年そのフィールドワークをしたおかげでその原因が少しわかった気がします。
家具を傷つけてしまったり、熱いものを置いてきれいに仕上げられた塗り物に茶碗の糸底の跡がついてしまったり、ネジが緩んで取れてしまったり…たったそれだけのことで手放すことがあるのです。
家具を傷つけたりすることを含めて…背比べで柱にキズをつけた跡と同じように生活の歴史なのに、、ちょっと直して使うのが面倒なのか、、おそらくは他のきれいなものとの比較で手元に置いておきたくなかったのだろうと想像します。
ゴミにしても然り。こんなものを飾ってみたら面白いなぁと思って、つまり目が欲しがって、購入して使ってみたもののすぐ飽きてしまって捨てる。
僕は捨てられたものを拾って一手間かけて、ずいぶんと身の回りの便利グッズとして活かしています。
壊れたり古くなったりしたら捨てる消費生活にどっぷりつかってしまいしまった弊害の一部だと思っています。
近々ミニマムライフの会がスタートします。なるべく少ないもので暮らす工夫をするためには適材適所で使い回す暮らしの知恵を皆さんで工夫していきたい。
捨てられたもの、見過ごされてきたものに注目することで新しい生活の仕方が見えてくる…そんなことまで考えています。お金がほとんどかからないところがミソです。
僕が生きている間には無理でしょうがお金のことを心配しないで毎日が暮らせる工夫をすることが次に出現する社会だと信じています。
これとこれが肝心なことですが…どうせ子供たちを洗脳するなら(教育は洗脳だと思っています)お金のことをもっときちんと教育すべきだと思います。
お金は使ってなんぼ、お金に使われるなんて、本末転倒です、、という教育です。
昨日何気なく流れるスマホの情報を眺めていたら、、日本では犯罪者でも薬物常習者でもなく、普通に仕事をこなしていて貧乏な人たちがいる…明らかに政策の失敗…とのメッセージが流れました。まったくおっしゃる通り。
他の生物を差し置いて、多分つかの地上の王者となった人間としては王者らしく文化と文明を育て、伝えることが王者として残されたせめてもの仕事だと思います。
こんなことを言って何になるのかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんがそんな事はありません少なくとも王者の気分が味わえます…あはは🤣
(この日記を書いていてちょっと寒くてくしゃみした。慌てて長袖のパジャマを引っ掛けた。
夜半目覚めくしゃみひとつと秋と居る
四つ木御殿に向かう通り道、空き家になったらしい家の庭にのんきそうに大輪の黄色い芙蓉の花が咲いていた
芙蓉咲く空き家の庭に秋と居る
能登半島ではまた大雨の被害で死者が出たとスマホに情報が流れた
わが国は秋の長雨通り道😕)