9月19日(木)
やり残したことを思い出した。今現在手元に残っているものの棚卸しとその利用方法を考えること。
10年後まで生きていると仮定して10年後から動き出すものを今から準備する…言う事だけは誰でもできるので口に出してみました。
気が楽なのは残ったものの目に見える分量がたいしたことないからだ。例えば本で言えば本棚に詰めて並べた2メートルの辞書類。
相手にとって不足はなし…どころかあと一生かけても読みきれるかどうかわからない大仕事。
辞書を読む!それは僕自身を糸の切れた凧のようにどこかへ飛んでいかないような地上の重石になるだろう、、なんちゃって。
(昨日はプールで壁面を蹴って5メートルほど進みそれからバサロキックを2、3回繰り返す練習を何度もした。
競技に出た経験はクロールしかない。もちろんこれから背泳ぎの競技に出るというための練習ではない。
スムーズにできないことがシャクなので練習しているだけです。
バサロキックのコツは胸のすぐ下から脚が生えているような感覚で脚を動かす…というのがヒントのようです。
たっぷり疲れて帰ってきてモツ煮込みのレトルト食品を温め食事をした後…読書。
人間を幸福にしない日本というシステム/カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税 訳:新潮社2000年10月発行
夕方までにやっと読み終わってどっと疲れました。疲れの原因は「痛いところをつかれたな」という意味です。
僕らは…お上(おかみ)のやる事に間違いは無いという古い固定観念が潜在意識に残っているのではないかと思いました。
官僚組織は単なるシステムでお上でも何でもないのに政治家がきちんと指示できない。本を正せば政治家がそのように行動できないのはこれはまた僕らが要求しないから。
明治維新に急ごしらえの官僚組織が見直されることもなくそのまま権力として固定化され、国民から選ばれたわけでもないのに事実上日本の経済を動かしている現状に何の不思議も感じない僕ら国民、、という図式を改めて開陳されると、官僚のやり口に異議を唱えない政治家不在の現状と相まってニ十数年前と何も変わってない事を認めざるを得ない。耳の痛い話です。
訳者が推奨していた本も発注しました。
日本経済の本当の話/毎日新聞社/上下巻。
どちらの本も葛飾区の図書館には在庫がありませんでしたので仕方なく発注したわけです。
過去を振り返る事は面白いです。過ぎ去った過去ではなくまたやってくる未来だと思うからです。
あ、昨日も朝飯前と読書の間の気分転換に、用意しておいた材料でいろんなものをつくりました。
掃除用具のボロ隠しのためにカーテンをつけました。外箒の収納箱をつくりました。流し台のまな板入れをしっかり固定しました。
これだけでも見た目も気分もスッキリです。
それにつけても問題のありかをすっきりさせるのは考えるためのよすがを得るためには必要ですね。一人一人が考えるためのヒントを外国人に指摘されるとは…トホホです。