9月13日(金)
先日、四つ木御殿の壁を壊したとき、下地材として使われていた野地板(製材に適さない細い木や曲がった木を薄くスライスして使う壁の下地材)で道具箱を作り少し家に持って帰ってテーブルの下に並べて棚として使っています。とても良いインテリアになりました。
壁の中に50年間閉じ込められていた野地板、いい味出してます。褪せるどころか、引き締まって強くなっている。
(一昨日おとなりさんから韓国のマッコリ酒いただいたのでお昼にちょっと口をつけたら口当たりがよくするする飲めるアルコール分6%。真っ昼間から飲むのなんて何十年ぶり。たまにはいいかなんて自分を甘やかす。
食事の後、酒の軽い酔いの勢いを借りて読書をする(コーランを読む事を読書と言っていいかどうか迷う)。
酒の力を借りなければ読めないなんて情けない。初めてにして不謹慎。バチが当たりませんように。
コーランをとにかく1ページずつめくってどんなことが書いてあるのかを逐一たどっていくふり。とにかく何が書いてあるのかを探っていく。
旧約新約聖書と二重写しになりながら場面がどんどん展開していく。
アッラーこそ唯一神、わき目も振らず、誘惑、甘言に惑わされることなく一途に信じるべし、すがるべしと、繰り返される。
人間に断を下される終末の日を無事に迎えることができるかどうかは日々の行いによる、道を外してはならぬ。
地上の豊穣、家畜、作物すべてはアッラーの思し召し。
著者によるとコーラン(クルアーン)はアラビア語で読み上げると独特の調べとなってムスリムの心にひびく、、その辺の感じを伝えたいために口語訳にしてみたとのこと。
それにしてもいたるところで現実的な教訓めいた話がたくさん出てくる(中巻)。暮らしの実用書、生活指導書そのものだ。
きょうは、いよいよマホメット(ムハンマド)が預言者として君臨した20年間の最初の方で、憑かれたように言葉を繰り出す内容(下巻)との事なので緊張と期待を持って、酒の力を借りずに読み進めたいと思います😌
野地板という言葉は初めて聞きましたが、写真で示して下さった例をみると、なかなか味わいがありますね。一種の「廃材」ともいえるのかもしれないけれど、やはり木というオーガニックなものなので、加工されても「生きている」感じです。
コーランの話が出ましたが、アラブなど砂漠の民にとって高価なのは木製の品ですって。もう50年近く前ですが、さるアラブの国の人と一緒に食事に行ったら割り箸が出て、食事が終わるとそれが捨てられることを知った彼は「こんな貴重なものを捨てるなんて!」と驚いていました。
コーランというものを理解するにはやはりアラビア語が分からないと無理だと言われますね。
日本の和歌を外国語に訳したら、その真髄が失われてしまうのと似ていませんか。コーランも翻訳で意味は分かるのだけれど、そのニュアンスや香りまでは伝わらない。
でも、それをいうなら、ヘブライ語で書かれた旧約聖書だって同じことでしょうけれど。
ベドウィンのように砂漠のテントの中で紅茶を飲みながら、コーランのゆったりした調べを聴いたら何となく雰囲気は伝わってくるかもしれません。
私は来週早々に日本に発つため荷造りや留守の間のことで忙しく、当分はコメントを差し上げられませんが、11月にドイツに戻ったら逐一読ませていただきますので、日記をつけるのをお忘れなく。