9月12日(木)
100年後世界はどのようになっているだろうか。
移民国家と言う言い方がある。積極的に移民を受け入れて税金も納めてもらう代わりに人権保障もしていく。
とりあえず良いにつけ悪いにつけまずは移民同士の棲み分けが進む一方で異民族同士の結婚は緩やかに増えるだろうなぁと素人考えしたくなります。
(僕みたいな老人に、、在日のエチオピア女性を紹介しますので結婚しませんかと勧めるエチオピアの友人がいる位です、これにはびっくりするものの、試しに一歩踏み込んでくる思い切りの良さは、ある意味切実さの裏返し、なのかなと考えたことでした)
あ、この話100年単位の話ですので気楽に聞いてください。
僕の日記と並行していつもつけてくださる充実したびすこさんのコメントには、既に移民国家と言われているドイツに関する話題がたまに取り上げられるので、ついつい僕の存命中に大きな変化は無いだろうと思われる話題にも言及したくなってしまいます。
昨日読んだ本も図書館のリサイクル本で、20年以上前の本ですが今読んでも新しい。
多文化社会の選択(「シティズンシップ」の視点から)NIRA・シティズンシップ研究会 編著/日本経済評論社/2001年10月第1刷発行
ざっと通読してみると、、どの国でも結婚すればある程度の定住期間があれば国籍を取れるシステムになっているところが多い。
もちろん、お国事情によって条件も違えば待遇も違ってくるがついて回るのは冒頭でも言ったように人権問題。
日本では、それが大問題とまだなっていないのは、、これも詳しい事はカットますが、、移民数が限られているから。つまり条件が厳しい。
(だいぶ前に母が亡くなった後、甥っ子の1人に兄とともにフランスの美術館巡りに連れて行ってもらったことがある。
トイレに入るにもチップが必要とは思わなかったので売店でお釣りをもらう時小銭での釣り銭を頼みました、、いかにもフランス人といった若い女性に、、コゼニ アマリナインデスヨ、、とすまなそうに流暢な日本語で返事をもらい、こっちがドギマギしてしまいました。
そもそも旅行のスタートからしてどっかの航空会社の外国人の男性アテンダントが、これまた流暢で自然な日本語で、、〇〇デ ゴザイマス、、なんで客とやりとりしているのを聞いて…日本語上手ですね…はい日本で少し暮らしていましたので、、あ、どおりで、、恐れ入りました!と笑いあいました、、
こんなこと、日本に年間何千万人も訪れる時代ですから、別段驚くこともないのかもしれませんが若い時から相当時代に遅れている僕としてはやっぱり驚きました。
それはそうと…さらに脱線しますが…外国旅行なんてお金を払ってまで行きたいと思ったことがない僕はとうとう自分で旅費を払って出かけるチャンスを失ってしまいました、、つまり、ほとんどが無銭旅行。相手がいくら払ったか知りませんし、誘われるままに出かけただけ。お付き合いについていっただけの感じ、、でもまぁ今となってはそれが良かったとは思う、、以上長いかっこ書、おわり)
外国人に対する身分保障は国それぞれとはいうもののお互いに参照しているのでこれから先100年の間に微妙に近づいていくだろう。その意味ではヨーロッパが先行しているようだ。
そのうち「何国人」、つまり日本人になるのが手っ取り早いかアメリカ人になるべきか、はたまたインド人になってみるか…なんて迷ったときのためにガイドブックが、出てきそうな気がする(不謹慎承知)。
日本人になるためのテキストブックもそのうち発行されるだろう。
ついでに言わせてもらえば、日本人は状況に合わせて可塑性が高いので人材不足に対応する力も高いと思う。外国の方を安く使おうなんて考えないで日本人に手厚く賃金を払えばしっかりした答えが返ってくると思う。
この気楽な発言にお腹立ちなきようお願います。こう考える人間もいると言うことで…。
何が言いたいかというと、人材不足はとりあえず自前で間に合わせておいて(高齢者や何十万人と言われている引きこもりの人たちも活性化させて使う)世界中の人種に関する移民政策のエッセンスが一応出揃ったところで、そのいいとこ取りすれば一番効率的だと言いたいのです。今までだってそうしてきたのだから(読者が少ないことをいいことに言いたい放題ご勘弁)。
人材の自給自足、国内の人的資源を積極的に活用する(これも深い考えもなく自分自身の職業遍歴をもとに語っています、、人材はすべて主に職業上のネットワークでゲットしてきました、募集広告なし)。
日本人になるためのテキストブックもそのうち発行されるだろう。
ヨーロッパでは外国人でも国籍を取得すれば参政権まで得られる国もある、あ、まぁそりゃそうか、二流国民じゃあるまいし。
でも、アメリカじゃぁ3/4国民(4分の3-)なんていうのもあったらしい。
今の若い人はもちろんご存じないかもしれないけれどトルコ出身のロイ・ジェームスという口八丁の洒脱なタレントさんがいて…ある時ラジオで、、日本人になるのは大変、帰化申請書類が電話帳より厚い、、とラジオで自身の帰化申請についてコメントしてましたっけ。
今気がついたのですが…本題よりもおまけの文章の方が長い、、まぁいいや。
そうなんですよ、移民・難民の話になると、特に、メルケル前首相が入国させた2015年以降の中東・アフリカからの難民となると、ドイツ人の間でも激しい議論が交わされています。一部の人達(左派や緑の党)は人道主義を訴えるけれども、実際統計上でもこの10年近くで犯罪が急増して物騒なことこの上なく、多くの市民が怯えています。年間9000件近いナイフでの殺傷事件、ドイツでは銃の所持は難しいのですが、その代わり刃物を使った殺人が頻発し、強姦・家宅侵入などあり過ぎて話題になりません。左派の言う通り難民がみんな凶暴と言うわけではないけれど、彼らの間での犯罪率は普通のドイツ人のそれに比べてダントツに高い。
しかも彼らが重罪を犯しても、だからといって追放して国に返すとアフガニスタンなどではタリバンに虐待されるし、シリアだと監獄行き。結局しばらく滞在させるしかない。また、これはどういうわけか分からないのですが、ソマリア人とエリトリア人は精神疾患で罪を問われないケースが多いのです。フランクフルト駅で列車到着直前にホームの婦人を線路に突き落とすとか、ショッピングモールで手あたり次第に買い物客に襲い掛かるとか、その種の事件でも精神病を抱えていて責任能力がない、というケースはソマリア人の場合によくあります。
数ではアフガニスタン人、シリア人、イラク人の難民が多く、彼らもいつの間にかドイツという福祉先進国の制度に馴染んで(?)それを最大限度に悪用し、数か月前に明らかになって騒がれ始めたことですが、この連中はこれまでに何度も母国に「休暇」で帰っているのです。たっぷり生活保護費をもらっているので、それを貯めれば航空費などすぐ出せる。そして重要なのは、そうして貯めたお金を母国の家族に持ち帰り、息子を国から出すため借金して「人間運び屋」に払った高額の費用の返済をしている点です。結局メルケルの「人道的措置」で潤っているのは、これらの悪質な人間運び屋にほかなりません。
昨今はドイツの他、フランスやオランダ、イタリア、オーストリアでも極右の台頭が目覚ましいのですが、その背景には、自国民よりも難民を優遇する左派系の政府への激しい反発があります。そして、一般に想像されるところとは反対に、極右を支持するのは頭の固い中高年ではなく、実際は若者が多いのです。緑の党など選挙民の年齢を若くすれば自分たちの党に票が集まると期待して、18歳から16歳まで投票資格年齢を下げたところ、彼らの大半は極右に投票していることが分かりました。これは今年6月の欧州議会選挙でも明らかになり、緑の党/エコロジー党は大幅に議席を減らしました。今月末にはオーストリアの国政選挙がありますが、おそらく極右のレッテルを貼られて非難されてきたオーストリア自由党と、これまで第一党だったけれど近年は自由党に票を奪われているオ―ストリア国民党(中道右派)の連立になるでしょう。もうどの国も「極右とは組まない」などと言っていられない状況です。
ということなのですが、移民の問題に関係して興味深い本を読んだのでそれをちょっとご紹介します。読んだのは実際には昨年のことで、眼から鱗の部分もありそのうち取り上げたいと思っていましたが、ちょうどこのフォーラムで話題にして下さったので。
本の題は「渋沢栄一 下・論語編」で、著者は以前どこかで触れたことがあると思いますが鹿島茂です。渋沢栄一は19世紀末から20世紀にかけてアメリカで急増した日本人移民への差別と憎悪を憂えて、何とか日米関係の改善を図るためにいろんな政治家・著名人の協力をとりつけようとするのですが、アメリカ人の反発は根強く種々の試みも頓挫します。米国側の話を聞いてみれば、なるほどそれでは嫌われるのも無理はない、と思われる点も多々ある。
「曰く、日本人は長くアメリカに住んでもアメリカ社会に同化しようとせず、密集して一つの地域に住んでいる。また、アメリカではアメリカで生まれた子供はすべてアメリカ人という属地法だが、日本は親の国籍に属する属人法を採用しているため、子供とりわけ男子が成長した場合には、たとえアメリカにいても日本の兵役義務を負う。このことが日本人には市民権を与えないようにすべきだという主張に根拠を与えている、云々」
属地法と属人法の差はともかく、移民日本人への当時のアメリカ人の非難は、欧州の人々がアフリカ人やアラブ人に向ける憤りとそっくりですし、属地・属人の差についての議論はない一方でキリスト教とイスラム教の差異を重視する人々は少なくありません。
また、当時のアメリカ一般市民のレベルでは、例えばプールに日本人を入れないようにという主張が出てくるのですが、それは日本人男性が水着の女性を珍しがって、水に潜って女性の足や胸を掴もうとするためで、こんな野蛮人と一緒には泳げない、とアメリカ女たちは怒り狂う。まさにそれと同じことがドイツでも起きていて、未開発国の、特に戒律のきびしいイスラム教国から来た若者たちは、女を見ることさえ珍しいのにそれが半裸で目前にいるとなると、もう自制など利くはずがないでしょう。
この箇所を読んだとき、20世紀初めの日本人はこんな風だったのかと強烈なショックを受けました。それがよくここまで来たものだという感慨もあります。
ただ、それだからアラブ人もアフリカ人も100年後には、日本人が成し遂げた進歩を見せて文明化された常識人になっているかといえば、それは大いに疑問です。
100年前のアメリカにおける無教養な日本人と、今の欧州の難民との間に共通点があるからといって、その後の進展も同じ軌跡を辿るとは思えません。欧州にいると、そもそも「人類みな兄弟」なんて台詞がアホらしくなる。それほど人間は個体差の大きい生き物だから、やはり異国・異文化の人間には慎重に対処せねばと思い知らされます。