9月11日(水)
昨日はまた暑さがぶり返し何もやる気が起こらなりました。
焼き芋ルームに寝転んで天井を見ていても埒があきません。
図書館にも四つ木御殿にも用があるのですが全く行く気が起こりません。
夕方にはまだ間があるしお酒を飲むには早すぎる。
あまりにも所在ないので買っておいた毛生え薬、、試しに頭につけてやれと思いましたが汗をかいていてなんかあまり効果がないようなのでやめました。
そもそも買った時点で興味喪失。若さを取り戻そうというキャッチフレーズにまんまと乗っかってしまって、すぐに後悔(自己嫌悪いっぽ手前)。
若さをネタに擦り寄らせるあざといキャッチフレーズにキャッチされて購入した人は日本にごまんといるだろう(騙された人が多いと思う方がこの場合気休めになる)。
いい商売だなぁと思います。中腹(ちゅうっぱら)で…あらゆる商売はこんなもんじゃないかななんてへそを曲げても何の慰めにもなりません。嫌なことはさっさと忘れて…
とにかく何かしよう、、近くにあった本を音読しました。読みさしになっているバージニアウルフの英文です。本の内容よりは大きな声を出して滑舌を良くして自分の頭に骨伝導で響かせることが肝心だと適当に決めてしばらく続けていました。読み始めは虚しい、、こんなことをして何になる…ちょっと腹が立ってくる…そのうち…日本語のようにさっさと頭に入ってこないのですがとりあえずわからない単語はすっ飛ばし、とりあえず読みきってしまえば何が書いてあるのかはわかると目星がついてくる。
話のオチも何とかつかめる。何かを成し遂げた気にもなれる。薄いペーパーバックですがこんなふうにして1冊、読みきった。気がつけば時間もずいぶん経っている。夕方だ。酒飲み時間にまでたどり着いた。こんなこと生まれて初めて。
わけのわからない本も読む必要があると言及されている本を読んだことがあることを思い出した(でも今日はこの話題には入りません)。
体は正直ですね。大きな声を出していると何とかやる気が出てきました。体を動かしたり声を出したりしているとやる気というのは起こるもんだなぁと改めて再確認できました。
しゃべっているのと同じことが頭の中で起きている、それも普通の会話ではない普段使ってないところが刺激を受けている(例によって適当なこと言ってます)。
人間相手に話しているわけではないので意見の食い違いは出てこないのでストレスがかからない。
AI相手に会話をしているわけでもないのでドライブががかからないつまりその…気持ちを変にかき回されることがない。
お経をあげているようなものかなと思いましたが、それとも違うような気がする。自己暗示をかけているわけでもない。
普段とは違う舌の動きが脳の言語野に刺激を与えるのかもしれない。
運動をするといやでも小脳を使う。そうは言っても体を動かすことも嫌な時それもできない。
気のおけない友達と馬鹿話をする…そんな便利な友達がいない時それの代わりになるものが音読なのだ(やっとそれらしい結論に持ち込める気がしてきた…)
やる気なんて脳を働かせるように体を動かしていればいいということはわかっていた。
体を動かす気も起こらない…そんな時歌でも歌えば良いのだが何を歌えばいいのかわからない。そんな好きな歌もない(カラオケが嫌いな理由の1つ)。
何もする気がしない時…寝転ぶ代わりに音読する。落ち込む前に何かにすがりつく。それが音読だ。
ドイツ語でもフランス語でも韓国語でも中国語でもとりあえずそれらしく発音すれば面白いかもしれないなと思いました。
その昔タモリが怪しげな外国語を話すパフォーマンスをしていましたがあれだなと思いました。
まぁあれとは違うかもしれませんがあれかもしれない思えば、それはそれで愉快な気持ちになれる
、、何もする気がしない時とりあえずやることは声に出して本を頼りに発音する。
日本語でない方が良い…日本語だとあれこれ考えてしまうからだ。あれこれ考えることが目的ではなく何も考えなくて済むようにエンジンをかける方法でなければならない。
何もする気が起こらない…これは由々しき問題で、僕が日頃口にしている「閉じこもり」を口にできるのは…本当の閉じこもりではないからだ。本当の閉じこもりは自分を守るために閉じこもるもっと切実なものだろう(閉じこもっている人がんばれ)。
でもそんなことをしたら抜け出すのがちょっとホネになるかもしれない。
僕の閉じこもりは何のためか?もしかしたら負け惜しみなのかもしれない。
負けたことを認めなければ負けたことにはならない…と昔一緒に仕事をしていた若い人が言った。
今彼の言葉が蘇った。負けるかよ!負けてたまるか、、あはは🤣
(支離滅裂なことを言ってしまいましたがこんな事でもしゃべっていれば少しは頭を使っている。この際、読まされる方の迷惑には目をつぶる。申し訳ないがそんな余裕がないからです)。
所在ないので毛生え薬をつけてみる。落語に出て来そうなユーモラスな暮らしですね。
笑っちゃいましたがこれが女性だと、鏡に自分の顔を写して皺を確認して、ちょっと高級なクリームなどでマッサージする、というところでしょうか。昔のお婆さんはそんなことしなかったと思う。でもそれでも全く身なりや容姿を構わない、というのではなく、うちのお祖母ちゃんなどは糸瓜を植えて糸瓜水を作っていましたが、あの当時(昭和30年代)はみんなお金がなくて化粧品代も節約せねばならなかったからだと後で気がつきました。
私は何もすることがないということはないですが、やっぱり読書する気になれないこともあります。そういうときは、英語または主にドイツ語の練習ということで、新聞の文芸欄の記事や雑誌のエッセイで気に入ったものの文章を写したりします。書いているときは他の事を考えないので、こんなんでもちょっと写経に似た効果があるのかな。
さて、今日の読書感想文。先日来このフォーラムで取りあげている『死』(死刑、死期など)に関係した本を昨日から読み始めたのですがまだ完了していないので、今日は少し前に読んだ作品を取り上げます。題は「武士の娘」(ちくま文庫)※、作者の杉本鉞子(えつこ)は明治維新の数年後に生まれた相当の家柄の女性です。
※私の手元にあるのは1994年刊ですが、「旧版・筑摩叢書、1967年」とあり、ずっと以前から知られていたようです。
その内容は
<杉本鉞子は、1873年、越後長岡藩の家老の家に生れ、武士の娘として厳格に育てられた。結婚によりアメリカに住むようになり、すべてがめずらしく目新しい暮らしの中で「武士の娘」として身につけたものを失うことなく、また自分にとじこもることもなく、みごとに自立した考えを身につける。今日に通じる女性の生き方を見る上にも、当時の風俗や生活のありさまを知るためにも、高い価値をもつ。>とあります。
目次つまり各章の題でその内容のおおよそが察せられると思いますので、それも紹介しておきましょう。
目次:
越路の冬、縮れ毛、寒稽古、旧と新、落葉、お正月、父の苦衷、二つの冒険、盂蘭盆酉の日〔ほか〕
注目すべきは、これが元はアメリカ人を読者として英語で書かれたという点で、後にそれが、20世紀初めの日本では最高の女子教育機関とされた津田英学塾の卒業生・大岩美代(1914年生まれ)という女性によって日本語に翻訳されたのでした。
主人公は20代も半ばを過ぎて、兄の勧めで在米の男性と結婚するためアメリカに渡りますが、新潟から東京に出て数年間に十分な英語教育を受けていたため、すぐに現地の生活に馴染み貴重な友人を得ることもできました。一方で、それだけ深く現地に溶け込んだせいで、日本語能力は英語ほどではなくなってしまったのかもしれません。そこで後日翻訳者の登場となるのですが、晩年を日本で過ごした原作者と約40歳年下の翻訳者は頻繁に接触し、日本語訳の進め方について真剣に懇切に話し合ったといいます。
ここで私が面白いと思うのは、英語の能力もさることながら、杉本鉞子が幼年時代から受けてしっかりと身に着けていた日本の学問・日本語の教育です。
彼女は生まれた時へその緒が首に巻き付いていたそうで、どういう根拠か全く分からないのですがそういう女の子は将来尼さんになるものとされ、それで子供の頃から漢学・儒学などを学ばされたそうです。
彼女の躾けに深く関わったのは、磊落で当時としてはオープンだった父親ではなく、江戸時代の古い教えに凝り固まった老いた祖母でした。孫への愛情はある人だったので主人公はその教えに恭順な姿勢を崩しませんでしたが、こちらは読んでいて「どうしてこんなバカなことを!」とその祖母やそれを敬う母親に怒りがこみ上げた箇所がいくつもありました。
当時の女子はとにかく淑やかで控えめでなければならなかったので、鉞子(家族にはエツ坊と呼ばれていた)は外で元気に駆け回って遊ぶことも窘められ咎められたそうです。たまたま弓を上手に射たときも「女の子がそれでは」と顰蹙を買う始末。
一番憤りを感じたエピソードは、鉞子が可愛がっていた犬が(動物、当時の言葉でいえば「畜生」を可愛がること自体、大人からはよく思われていなかった)病気になり、震えているので絹の座布団をもっていって掛けてやった。それを爺やから聞いた祖母が鉞子を呼びつけ、犬や猫は前世で悪いことをした人間の生まれ変わりで、その犬猫に人間に対するような情をかけるとそれらは次の世で再び人に生まれ変わることはできない、と叱り諭す。鉞子は自分の行為がそのように軽率だったことを恥じ入るばかり。
そういえば、私が子供の頃には本気で犬や猫を可愛がる人は周りに少なく、四つ足は汚れた物という目で見て邪険な扱いをする人も多かったことを覚えています。今の世にペットたちが受けている待遇を見たら、彼らは目を廻すでしょう。
それにしても、生まれ変わりとか、前世の祟りとか、先祖の因果とか、迷信と呼ぶにもあまりに理不尽な考え方をする人達は、昭和の初めにも決して珍しくありませんでした。科学というものが無かった時代には、すべての運・不運や惨事には原因があるはずと考える一方で、それが理論的に解明できないので、例えば障害を持つ子が生まれるとそれは母親または母親の先祖が犯した悪事の報いだなどとメチャメチャな因果律を持ち出したのでした。双生児の誕生も呪うべき現象で、母親の腹が犬のそれと同じなどと非難され、片方を捨てざるを得なかったといいます。
かつてはそんな無知蒙昧は日本以外の国にも多々あったでしょうが、啓蒙主義や科学の進歩で欧米ではその種の迷信は次第に姿を消していきます。鉞子が渡った20世紀初頭のアメリカでは、日本のように人間を無意味に縛る社会の戒律も少なくなって、女性も生き生きと暮らすことができ、だからこそ彼女の実力も高く評価され、コロンビア大で講師を務めるほどになったのでした。
そしてこの本を読んで、これはもう完全に日本側の敗北だと感じたのは、夫を亡くした鉞子が帰ってきた日本で二人の幼い娘がアメリカに戻りたがり、しかしそれを口にすると「お母さまが悲しむから」と密かにアメリカ時代を偲んで、ままごとで懐かしい暮らしを再現する場面です。次第に日本風に物静かになっていく娘を見ながら、名を呼べば明るく答えて元気に駆け寄ってきた溌剌たる娘たちはどこに行ったのだろう、と慨嘆する母の姿にはこちらも涙ぐんでしまいました。