9月10日(火)
毎日の食事について書きます。
本当に適当に作ってます。一汁一菜で良いという本を読んでからあまり頭を使わないようになりました。つまり適当にその都度食べたいなと思ったものを食べています。それでも、せいぜい野菜とタンパク質を取る事は心がけています。
トライアスロンをやっていた時しみじみ考えたこと。バナナ1本200カロリー消費するために人間はどのぐらいのことをしなければならないか。
当時トライアスロンをやると6000カロリーぐらい消費すると言われていた。もちろんそれは一流選手の場合。市民レベルの僕らの場合ではずっと少なくてすむはずだ。
高齢になって消費カロリーも少なくなっている上に大して頭も使ってないのだから腹八分目で良い。
僕は多分腹七分目だと思う。
それでも食事した後はちょっと眠くなる。
四つ木御殿のリフォームのお手伝いを少ししただけで体がしっかり疲れる。
昔とは違う。緊張感も違う。気楽なのは気持ちだけ。でも気を緩めたら怪我をする。あえてゆっくりゆっくり行動することでカバーするしかない。
目のかすみ、巧緻性や反射神経の衰えは、いかんともしがたい。
60歳の還暦の時を再度生まれ変わったと強引に考えるなら今はもう中学卒業の時。卒業しよう。また生まれ変わるために🤨
75歳の時、仮に高齢者1年生とすると今はまだ高齢者としてスタートしたばかり、、と思っていたらあっという間に時は過ぎ去り気がつけばもうフレッシュマンは終わり。
10年間の助走期間も終わりだ。
初めての経験として「高齢者」を生きる。
ふー、今自分に気合を入れ直しました❣️
若い時と大して違わない、その延長線上に今があるなんて考えは…全く気のせいだ。
生まれ変わった気で出直さないとこれからはきっと生きていけない😤
気の弱い僕だからこそ何度も気合を入れていかなければ体も頭も坂を転がっていくばかり。
今までの職業履歴も資格ももう役に立たない。
くそ!新しい高齢者の資格を作ってやる、、
あー少しは、やる気になった…なんちゃって、あはは😜)
(毎度言っているように、今住んでいる家に残っていた漬物樽に助けられている。腸内環境のバランスを保つ確かな味方。
食事習慣がちょっと中だるみになった頃、古漬けを出して塩出ししてお茶漬けを食べるとなんか体がリセットされたような気がする。もう一度言う、漬物樽は僕の味方だ、ありがとう古漬け、、あっ、それから3個で68円!のタレ付きの納豆にも敬礼。ネギ、大根おろし、梅干、青のりなどを混ぜてお酒のおつまみ、感謝あるのみ。
昨日思い立って…トイレの壁を壊したときに出た残材の野地板を利用して僕専用の道具箱を作った。ちょっとしたお手伝いをするにも「構え」は大事。
デッサン会に入門希望の方から電話がありました。昔やってた方らしく懐かしさのあまりの申し込みとか、、気持ちはわかる、、僕もそうだったから)
基礎代謝量ってありますね。何もしなくても、寝ていてもカロリーは消費される。脳、肝臓、腎臓、心臓などの内臓がカロリーを必要とするから。筋肉も、使ってなくてもカロリー消費がある。この基礎代謝が大きければ太りにくいんだそうで、いちまるさんも多分そのために少しくらい食べ過ぎても太らないのだと思います。私も検診では年齢の割に代謝量が多いと言われますが、さすがに年取ってそれも減り、それで以前よりは太ってしまいました。でもここでダイエットなんかしたらしっかり歩けなくなるので、お腹が少しくらい出ても諦めています。今さらスタイルをよくして、誰に見てもらおうっての。
さて今日の読書感想文。
今日取り上げる本の題は「病院で死ぬということ」です。1990年の刊なのでかなり古いですね。34年も昔。著者山崎章郎(やまざきふみお)は私と同い年の医師で、ということはこの人が43歳のときの著書ということになりますが、実際に書き始めたのはもう少し早い時期だったでしょう。
本は古いけれども、内容は決して古くありません。もちろんこの本や、例えば遠藤周作の『遠藤周作のあたたかな医療を考える』(1986年刊)などの書作に感化されて、医療従事者の意識が変わってゆき、これまでに現場が改善された部分もあると思います。
(遠藤周作の本は、自身や身近な人たちの重篤な病と治療・入院生活の体験をもとに書かれたそうで、彼自身が何度も死に瀕しており、その際の医療従事者の機械的でドライな姿勢に憤りを感じたことに由来しているようです。これを書いた10年後に73歳で没しています。)
私にとって痛切だったのは、この中で言われている当時の風潮、「患者に不治の病を告知しない」という医療界の不文律です。山崎医師は自分なりの確固たる考えがあって最後に告知したこともあるそうですが、同僚に責められたのはもちろん看護婦にさえそっぽを向かれたとか。
私の父は胆管癌という、これまた治療の施しようがない病で、癌が見つかって4カ月足らずで他界しました。私は事実を告げたかったのですが、家族(母と弟)はそれに激しく反対し、医師も反対。この医師は実にひどくて、母が「話を聞いても分からない」というし弟は「そんな暇はない」というので家族代表で聞きに行くと、「私は女の人に患者の状態やまして余命のことなど話したくありません。女性は感情的になって、死期が近いなどと言うとヒステリーを起こすこともよくありますからね。男の人をよこしてくれませんか。」今の時代に医師がこんな発言をしたら、確実に訴えられますよね。とにかく私しかいないということで粘って、事実を話してもらったのですが。
一応手術はしましたが、望みは全くありませんでした。でも家族全員で噓をつきまくり。最期の方で父がやっと発した言葉は「治ると思っていたのに」でした。当然死に備えることもなく逝ってしまったわけですが、ただ父の性格を思うと仕方なかったのかもしれないと思う部分もあります。父は明治・大正の豊かな家庭に生まれ育ったせいか、ある意味で不運や不幸に慣れていない人で、戦争で九死に一生を得て帰還したにもかかわらず、いや、だからこそかもしれませんが、災厄は他人の身には起きても自分や自分の家族は守られると思っていたフシがあります。さらに、癌などという病を一種呪いのように感じる昭和の風潮に大きく影響されていたようです。「○○さんが胃がんだって?一体どんなものを食べていたのかねえ」などという失礼な発言も。どんな食生活をしても、禁酒・禁煙でどれほど節制しても、完全に癌を防止することはできないし、乳がんなど女性の10%近くが罹ってしまう。
そういえば、TBSのキャスターだった筑紫哲也という人が肺癌で亡くなりましたが、医師から病名を告げられて降板するとき、「まさかこの自分が癌になるとは思いも寄りませんでした」と言ったのには驚きました。仲の良い友人とのお喋りでその話が出て、「自分(だけ)はそういう不運に見舞われることはありえない、って、そんな根拠のない確信はどこから来るのかしら」と不思議がったことがあります。(彼女も私も後日癌を経験します。)
この身にかかった不運はいくつかありましたが、その時に「なぜ、私が」と思ったことはありません。大病・奇病、貧乏、家族の死。それが仮に何%かの確率でしかなくても必ず誰かを襲うのであれば、自分にそれが降りかかっても不思議ではない、という覚悟はありましたから。もちろん、どうか痛み・苦しみを味わわずに済みますように、と祈る気持ちはありますよ。
父は人格的には品位のある人物でしたが、恵まれない人への同情の念とか共感はあまりないように思えました。これは家族への愛情(身びいきともいう)が常軌を逸して顕著な一方で、「他人に深く関わらない」ことをモットーにした彼の生き方だったようですが、それだけに、もし自分の病が不治で死が3,4カ月後に迫っていると知らされたら打ちのめされたと思います。でも打ちのめされても、変えられない事実に耐えて欲しかった。命の終わりは必ず来るのだから。
今の時代はインターネットの普及もあり、人々の知的レベルも高く、手にする情報量も大きいので、へたに嘘をつくとこれまた裁判沙汰になりかねない。私も自分の死期についてはごまかしのない情報をもらいたいと思います。自分の命ですから。
というわけで、時代の流れもあって、90年代まで医師の間では「癌の告知をしない」という慣習のあったことを今さら弾劾しても致し方ありません。
何人かの医師の経験談によると、高名な哲学者とか宗教人でこの人なら何を聞いてもうろたえないだろうと思った人が、病名を知るなり真っ青になって狼狽し、病と闘う気力もなくしてしまったケースが多々あるそうで、それならば真実を隠して治るという希望を与えた方が長生きする、というのです。
この辺りが死に臨む姿勢に関する西洋人と日本人の違いといえるかもしれません。キリスト教文化のためかどうか分かりませんが、死を前にしておじけづくことなく命ある限り生きていくのが人間の努めとされ、うちのめされて生きる気力を失うとすればそれはその人の弱さのゆえだから、医師が事実の告知の結果に責任を持つ必要はない、ということでしょう。これには私も賛成です。とにかく本当のことを伝えるのが相手に対する敬意の表れだと思います。
一方で、欧州にはそういう、いわば死を宣告された人のためのPalliative Therapy(緩和医療)というのが進んでいて、これはターミナルケアやホスピスでの医療に似ていますが、それらの類似点と差異はよく分かりません。要するに癌などの場合しっかり可能な治療は続けながら、患者の怖れや不安を和らげてQOLを維持することを目指したケアです。これが日本にも浸透して、今でも多くの病院で一般に行われているように沢山の管を差し込んで機器と繋げてとにかく延命を図るというのでなく、患者が苦痛の少ない中で優しい人々の介護のもと生を全うできるようになれば、病名や予後や可能性(不可能性)について聞かされても、人はさほど怯えなくなるのではないでしょうか。