9月5日(木)
修理(仏像からパイプオルガンまで):足立紀尚著:中公文庫2007年6月初版発行
読まなければいけない本を横に置いてアマゾンから取り寄せたこの文庫本を一気に読んでしまった。
僕もリサイクル業をしていたようなものなので修理屋に近い。
古い家を壊したり、直したりすることが仕事だったのだから、修理が嫌いじゃ務まらない。
振り返れば、苦労した思い出とともに面白いと思った場面もあるにはありましたが、当時は稼ぐのに夢中で面白さを味わう余裕はありませんでした。
ところが…仕事を辞めてから個人的に、たまたま成り行きで、、気がつけば、この10年間で何軒かの古い日本家屋を使いやすくリフォームしたのだが、これは楽しめました。
それはそうと…これを業者に頼んだら一体いくらかかったか考えたらちょっとぞっとする。多分家を建て替えるのと同じ位の出費!間違いなし。
今住んでいる家も、売買契約の時に業者に言われたこと…(ほんの) 一千万もかければ住めるようになりますよ、、。
あっ、、いいです知り合いのリフォーム屋がいますので、、と僕は嘘をついてその場を切り上げました。
僕自身がリフォーム屋でほんとによかった。
もちろん僕がやることですから仕上がりはたいしたことないのですが住まうためには一向に問題ではない。
稼業としてやっていたときには仕方なくやったというところもありますが、一旦仕事を辞めて、自分の家のためのリフォームをやりだしたらこれが結構面白い。客の要望を聞かずに思い通りにできるからですね。
家の直しをしていると、住んでいた人の気持ち、つまりその家を使っていた人やそれを作った人と修理を通じて空間や時代を超えて語り合えるということすら初めてわかった気がします。
お金がなくて他にする事が思いつかず始めた商売でしたが、まさかここに着地するとは夢にも思いませんでした。
(昨日は午後から四つ木御殿の壁壊しのお手伝いをしました。
ディスクグラインダーに1.5ミリ位の薄さの円盤状のカッターを取り付け浴室のタイルもろとも切り取り線に沿ってカットしていく。
用意しておいてくれた防塵マスクが役に立ちました。
あー面白かった…とお伝えして後はお任せしました♪
ところでどんなドアをつけるのですかとお聞きしたら…今まで使っていたドアをそのまま使うということです…あっと驚きました、、ぼくが以前、表面を黒版として使えるようにしたちゃちなドアも喜びます😅)
芸は身を助く、と言いますが、技術・技能の方がもっと確実に助けになりますね。芸というなら、父方の祖父は謡や能や鼓が趣味でかなりの腕でたまに教えたりもしていたのですが、戦後の無一文の暮らしの足しにはあまりならなかったようです。一方母方の祖母は1人になってからも息子たちがほったらかしで援助は期待できなかったので、和裁で身すぎ世すぎをしていましたが(当時は年金なんかなかったし)、こちらはプロの腕で当時でも袴まで縫える人は稀だったので、注文は結構あったようでした。昔の専門教育を受けていない女性には、そんな内職しかなかったんですね。でも、何もないよりはマシ。
叔母の一人も嫁いだ富豪の家が戦後潰れて、よくあるように息子は無能で、やはり裁縫で家族を支えていましたっけ。抜群に頭のいい人で女学校で師範学校に進むことを勧められたのに、親が「女は嫁に行くのが幸せ」という考え方だったので、さっさと嫁がされて。あのとき高等教育を受けておけば教師になってもっと収入が得られたのに、とよく嘆いていました。
今私が働くとして、さあ、何ができるだろう。中学生の科目のいくつかは教えられますが、家庭教師や塾の講師の希望者はワンサといて、子供たちも若いぴちぴちしたのに習いたい。給食の手伝いに行っても、もたついて邪魔になるだけ。草むしり、これはかなり大変、しゃがんで数時間というのに耐えられない。
そこへ行くと、大工仕事やリフォーム、修理はさほど体に無理をかけずにできるのではないでしょうか。尤も通常はそれも70歳くらいまででしょうけど、ちょこちょこっとした仕事ならもっと年取っても大丈夫、眼が見えて手が動かせれば。何よりそういう仕事って、できる人には苦にならなくて、時には楽しみになるらしい。