9月1日(日)
コーランや仏教の経典をさらさら読んでいると、気持ちがだんだん落ち着いてくるのはなんでだろう?
クルアーン(コーラン)は読み始めたばかりですが…とにかく信者であり、言うことを聞けば必ず良いことがあるということが繰り返し語られています。口を酸っぱくして何度もルールを守ることを繰り返さなければならない事情があったのだと勘ぐります。
信者以外の者の言うことを簡単に信じてはだめだ、心を惑わされるな、騙されてはダメだと繰り返されます。
もう1冊読み始めているものに…「妙法蓮華経 並 開結」:平楽寺書店:大正13年9月発行
という、今はまもなくビルが完成するところにあった岡島書店で100円で手に入れたものです。
(岡島書店で僕は多分300冊ぐらい本を買っている…それも通りに面した本棚の1冊100円の本が多い、そこのご主人の顔も奥さんの顔もすぐ思い浮かぶ。2度ばかり見た息子さんの仏頂面も何とか思い浮かぶ、、既に懐かしい)
読みこなせないのは最初からわかっていましたがとにかく本文の下に読み下し文が付いていてその文字面を追っていくだけで気持ちが良くなる感じ。
信心深い人なら、読んでいくうちに恍惚とした状態になることもあるかもしれないなと思いました。
漢語のポキポキとした明快な響き?に、日本語のてにをは、がつくのですからリズムが良いのです。頭にこんこんと響く。
少し前にも書きましたように…バージニアウルフの文章を音読する時も意味を読み取る前に、文章の調子の良さに乗せられてついつい読み進めてしまうようなことにちょっと似ている。
とまぁきいた風なことを、書きましたが…門前の小僧が門の中の雰囲気をちょっとだけいつものようにメモしてみただけです😉
昨日は雨模様の中てくてくと奥戸のビバホームまでディスクグラインダーの刃を買いに行きました。
帰りに米屋さんでぬかを500グラム54円、惣菜屋さんで小さなアジフライ70円× 2ケ+メンチカツ110円×1ケ、、感動する安さなのでしっかり値段も覚えていました♪
図書館に寄ってリクエストしていた本を借り出し、、家に戻って体を拭いて、大汗をかいた時だけしか飲まないビールを飲みました。
ビールと買ってきた揚げ物、白菜のぬか漬けを平らげたらおなかいっぱい。バタンキュー。
昼間しっかり歩いたので目が覚めたら今…もう明け方、、4時50分、、大型台風の影響で…雨が降ってる日曜日…さてと何するかなぁ
イスラム教の国は政教一致なので、君主(スルタン)がいいといえば何でもいいし、「止める」といえばいとも簡単に廃止される。それで科学と信仰との軋轢・齟齬も生じることが無くて、一時北アフリカやイベリア半島で栄えた天文学・数学・地誌などもアッバス朝になるとあっという間に立ち消えて、イスラム界にはついにガリレオガリレイもニュートンも登場しなかった、と最近読んだ本に記されていました。実際、レコンキスタの前のスペインにはそうそうたるアラブ/イラン系の学者がいたようですけど。
また、神学というのも全く発達せずテーゼ・シンテーゼ・アウフヘーベンなんか皆無の土壌だったから、キリスト教世界のようにトーマス・アキナスとかドンス・スコトゥスなどの輩出も望めなかった、とありました。それだけでなく、今に至るまでイスラム教とキリスト教との学術的な論争や対話もないですね。
現代文明の楚を築いたヨーロッパ世界は、その後帝国主義や植民地主義に傾斜して中東の人民を搾取してきたということで、歴史家や社会学者によって欧州全体にそうした負の過去を強調され、ここ数十年イスラム教徒による殺傷事件がほとんどの欧州国で相次いでいるのに、犠牲者を出している国々は「脛に傷持つ身」と感じているせいか、本気で論理的に世を正そうとする動きがないのは無念です。
話変わって、アジフライ、メンチカツがそんなお値段で買えるなんて、現代社会もまだまだ捨てたものじゃありませんね。売る方はそれでちゃんと儲けが出せるのかと心配してしまいます。お惣菜の店も立ち行かなくなって、何もかもスーパーで、というのはちょっと哀しい。都会の景色が索莫としてきます。
惣菜といえば、江戸時代のお話を読んでいると(私は山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、宮部みゆきなどのファン)、よく煮豆屋というのが出て来ます。出来合いのお惣菜を売る店は当時からあったんですね。特に豆は時間がかかるから、長屋で個々にコトコト煮て、というのでなく大量に作って売る方が合理的。(昔、わが家では、お祖母ちゃんが七輪で何時間もかけて煮ていました。)池波さんと宮部さんは、食べ物の描写がとても上手。あ、こういうの作って食べてみたい!と思わされます。