8月29日(木)
最近気をつけていること…誤嚥、、食道の方じゃなくて気管のほうに食べ物が入ってしまわないようにゆっくり食事をする。慌てる事はない。ゆっくり順を追って行動すれば良い(前に丼ものはガツガツ食べると書いた僕の話は、都合上ちょっと棚上げしてください)。
目測を誤って粗相をする。体をあちこちぶつける。これもゆっくり行動すれば防げること、第一ゆっくりなら、ぶつかっても痛くない。
本もゆっくり読む。暇がたっぷりあるのでゆっくり読んでも良い。
これはまぁ、本の中身が面白いという条件付きです。
それ以外は飛ばし読み。
これは得意…バージニアウルフなんて文章の調子の良さだけ味わって、、つまりお経みたいに音読しておしまい。
わからない単語も適当に想像して読み飛ばし…それでも読んだ気になって気分が良い。
運動は体が喜ぶように行う。無理しない。動かしていることが快感になるようにしている。ほどほどが1番。
水泳だったら…いいか悪いかなるべくたくさんの人に見てもらう。後期高齢者といえども進歩したい。見てもらうことで気持ちの勢いを伝えていきたい。気持ちのバイブレーションは伝わる。
今日の結論…後期高齢者ともなれば世の中の酸い(すい)も甘いもいくらかは嗅ぎ分けて、道を外さないように歩んでいくのがお似合い。
こんなわかりきったことを、ことごとしく書きだしたのは時々ハメを外すから。
何故ハメをはずすか?安定した日常を確保した上で、、時々ハメを外すことはすごく面白いからです。非日常の積極的効用。
そのためにも、こうやって基本を確認しておけば大きくハメを外しすぎてヘマをすることを防げる。
世の中にうまい話なんかあるわけない(結果として、うまい話になった、ということはある。僕の場合はほとんどがこれ)。
何も知らないふりして、あるいはまた場面によってノイズをカットするために何でも知っているふりして、、大手を振って歩いていこう。そのほうが僕が見る世間の風景もいくらかは良くなる。
まずは毎日ざっと掃除するみたいに自分の頭の中を整理すれば風景も違って見えてくる理屈。
ところで、今まで再三、言ってきたように、僕は知らないことが多すぎる。
「どんだけ知らないか」がわかってくると、それはそれで面白い。
そのおかげで本当に興味があることを探っていける。ぼくに見つけてもらいたい対象も向こうの方から僕に近づいてくる、、これは僕の経験則だ。
堂々と偉そうにこんなことが言えるのも76年間無駄に生きてきたわけではないという自負のおかげ。
自分を守るその自負があればこそ、76年間で得た経験はたったこれだけという感想も持てる。
ただし、これは僕が謙虚であるからこその感想…あはは🤣
ハメを外すっていうか、ごくたまにですけど、毎日静かにお行儀よく判で押したような暮らしをしているのにちょっと飽きて、何かのついでに夜更かししたり、お酒を多めに飲んだり(ごくたまにです)、すると翌日か翌々日にテキメンに響いて来るんですよね。大したハメ外しじゃないからすぐ元に戻るんですけど。
元に戻る力も無くなったら、きっとその前にハメを外す意欲も無くなると思います。
管理人のMさんの奥さん、彼女のお母さんが88歳で3年前に心臓弁膜症に手術を受けて、その後の経過は順調でちゃんと1人で暮らせていたのですが、何しろ飲む薬の量と種類が多く、Mさん夫妻が夏の休暇で10日ほど出かけていた間に飲み忘れたことも何度か会って、2週間前に倒れてしまいました。病院に運んだけれどそう何週間も入院するほどじゃないから自宅(アパート)に戻って、それからMさんの奥さん、午後に仕事が終わると母親のところに行き、夕食を作って、床に入るのを待って自宅に戻る。
「大変ね。いつまでも生きてほしいったって、実際のところこっちが参るわね」と同情してしまいました。先日の義姉のことがあったのでよけいに。
旧約聖書の「伝道の書」の言葉を思い出しました。
1 天(あめ)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり・・・