8月27日(火)
僕は消費者だ。自虐的に言えばむしろ、必要以上に徹底した消費者だと言えるかもしれない。
自分が消費されることもいとわない(なにもそこまで言わなくてもいいのに、、)
ところで話は飛んで(話を進める都合上すぐ飛びます)、アメリカでは野球はナショナルパスタイム、全国的な恰好の暇つぶし、が通り相場だそうだ。
大谷翔平が次々に野球の歴史を塗り替えている。
大谷は消費されている、、ホームランを打つたびにスポーツ新聞の売り上げが上がる、一種の娯楽として消費されていると強弁(これを言いたいために冒頭で強引に決めつけました)。
大谷本人はどう考えているか僕は勝手に想像する…例えばこんなふうに…
記録は「できていく」。健康維持して思う存分、野球を楽しむ。仕事であり趣味であり生きがいだから、、まぁこれに尽きる、、くどいようですが勝手な想像です。
外野(観客)は適当に楽しんでくれれば良い、自分自身は消費されるエンターテイナーでもある事は自覚しつつも自分自身がエンジョイできる環境をキープすることが最優先。自分の職業でもある野球が楽しい(大谷は野球小僧だと決めつけている報道も多い)。
大谷翔平が本当にこんな人なら…彼を見習いたいと思いました。
できるパフォーマンス(演技)をしていこう、、レベルの差はあっても僕だって職人、生涯現役を宣言したからには母の後を継いで夢舞台勤めます、、なんちゃって。
終活アドバイザーみたいな資格があるらしい…これに挑戦してみようかな?こんなもの試験にして、資格を取らせようなんて考えた人に拍手したい。
需要はあるだろう。僕がそんな人がいたら相談しようと思った位だから…あはは🤣
(昨日はハスが安かったので天ぷらにして、夜はこれを肴にビールを飲みました。ハスの天ぷらでお腹をいっぱいにしたのは生まれて初めてかもしれません。
大和芋も安かったので昼とろろそばにしたり、夜、輪切りにしてフライパンで焦がし…これまたお酒のつまみにもってこい。
図書館にリクエストしておいた死刑制度について書かれた本、昨日少し読み始めた。弟を交通事故の偽装殺人で奪われた人の手記。犯人は既に死刑になっている。
極悪人は死刑になればいいと単純に考えてしまう風潮に対して一石を投じている貴重な本。身内に被害を被った当事者からの告発と言えるだろう。
アマゾンで取り寄せようと思い、検索したら、既に絶版らしく、中古本でもえらい高価な値段が付いていたので、念のために図書館の在庫を見たら、、あった!四つ木地区図書館が保管していました。
ちょっと重苦しい感じで読み始めて、、夜中に目覚めて、今この日記を書きながらはっと気がつく。
何に気がついたか…冒頭で僕自身は…僕自身を含めて消費者であろうと勇ましく決めつけて…合理化している自分に気がついたのです。
僕自身が消費されてもいとわないと考えるその合理化、、ちょっと待て。
死刑制度を温存して合理化して、思考ストップになっているその合理化と似ていないか?
自分の都合の良いようにどんどん合理化する。それがちょっと怖い。ちょっと立ち止まって考えよう。時間は、まだたっぷりある。
同窓会が終わって、日曜日の11時に解散してから、そこからさほど遠くない義姉のところに行きました。とにかく寂しがって、そして誰かの訪問をいつも待っている人です。
行くと、介護士のポーランド人女性モニカと険悪な雰囲気になっていて、義姉は彼女が言うことを聞かないと怒る。モニカは義姉が4匹の猫と一匹の犬の世話を自分に強制し(犬猫のために雇われているわけじゃないのに)、夜中に起こして「アントンが帰ってないの、探して!」と騒ぎ、「もう一度犬を散歩させてから休んでちょうだい」と命令し、「おや、パオリーナはどこ?」と彼女に探させる。
昔から人に命令する癖(医師で看護師を使っていた時代の名残)は、介護を必要とする老女になっても変わらない。自分が世話できない犬や猫を飼うことが理不尽だという自覚もない。
モニカの今回の6週間の当番は火曜日までで、そのあと別の介護士が来るのですが、モニカは亭主に「今回が最後で、もう来ません」という。既に二人来なくなっていて、これ以上こんな事態が続いたら、自宅で過ごさせるのは無理、と亭主は頭を抱えています。
それをほのめかすと、「あんたがこの田舎に帰ってくればいいのよ」って、私を介護士にするつもりかい!
同窓会のわがまま参加者といい、この不条理な義姉といい、私つくづく「老害」という言葉の意味を嚙み締めております。