8月23日(金)
コーラン(クルーアン)を1日10ページずつぐらい読むことにしました… 3巻読みきるためにはそうでもしないことには達成できそうもありません。
読み進んだところで何か慣習法とか論語に似ているなと思いました。女性との付き合い方から日常のゴタゴタの整理に至るまで事細かく記されています。融通性もあるのです。ちょっと校則に似ている。ムスリムとして恥ずかしくない態度で暮らしなさい、、みたいな。
しばしばユダヤ教やキリスト教に言及しながら…最新の宗教はコーランだと、ことあるごとに述べられています。
ムハンマド(マホメット)に対して語られることもあれば信者一般に対して語られることもある。
このスタンスが垣間見えたので、、きっと3巻全て目を通すことができると思いました。僕が立ち会ったムスリムの方の所作についても既に記載がありました。
社会全般の交通整理の教科書に見えてきました。意外と融通無碍、臨機応変なところが気に入りました。
男女の交わりについても事細かに具体的に書かれていました。ラマダン中にことに及んでもよろしいが日常のムスリムとしてのルーティーンをくずしてはいけない、などなど、、第1巻を読み始めていくらもたたないうちにズラズラとこれだけのことが出てくる。
(たまに音読する。口の体操。滑舌が悪くなってるのがわかる。こもりきりなのでそれは、そうなる。総会話量の不足。
ところで、プールで水中歩行している女性たち、ほとんどの人が会話をしながら歩いている。
修行僧のようにして会話を受け付けないように歩行している人もいる。
面白いので機会をとらえて挨拶しようと思うのですが目が合いそうになると目をつぶってしまう…「歩行禅」の最中なのだなと思うことにしました。
狭いプールの中を一定方向に回転しながら歩くのでプールには渦が発生する。それがすごいと思います。ただお話ししながら歩いているだけなのに。
(歩行禅の人でさえ渦を起こすことに参加している1人なんですよね)
今ふと「集団知」なんて言葉が思い浮かびました。
知らない間に仕掛けられた「集団知」が「社会圧力」となって社会を動かす、、なーんて適当なこと言ったところで、、ところで社会圧力なんて言葉あったっけ!
※ 社会的圧力しゃかいてきあつりょくsocial pressure
凝集力の強い社会や集団における行動の基準 (たとえば慣習,社会規模,集団標準など) に対して成員が逸脱的行動に出る場合に,社会から強い圧力の加えられることをさす。一般的に,(1) 社会への帰属感の高いほど,(2) 当面の問題の重要性が大きいほど,(3) 逸脱行動に対する反対勢力の強いほど,(4) 制裁と報酬の大きいほど,(5) 社会への行動基準が強いほど (それを支持する人数によってはかられる) ,成員に対する社会的圧力の力は大きくなるといえよう。
(以上「コトバンク」より引用)
ちゃんとあるんですね。
渦に巻き込まれることの多い社会かもしれないけれど…僕らは小さな渦を作ることもできると思いたい。
とても小さな渦なんだけれど、その慣性力によって僕自身がコマが回わるみたいにちゃんと立っていられる、、、どうかな?…あはは😂)
社会への帰属意識はかつては相当なものだったでしょうね。かつて・・・、戦前までは社会という言葉はなくて「世間」だったでしょうが、特に田舎の村では農業社会だから世間に従わないと一家族だけではやっていけない。村八分にされたら人生おしまい。
21世紀の現在でも、世間の無言の圧力はありますが、逆らっては生きていけないということはない。ただ何かと噂になるだけで。
小さな社会でみんなが団栗の背比べだと、いやなのは、嫉妬やそねみが強くなること。田舎の人ってはっきり言ってあまり人情はないみたいです。そういう教育・躾けを受けてない。だから町の人のように、困るとある程度手を貸すけれど、栄えていると何となく妬む、というパターンではなく、そもそも互いに助け合おうという精神が乏しい。みんな最近まで貧しかったから、硬直化した社会観しかなくて。
いつも言うけど、戦後の教育を受けた我々の世代からは多少変わると思います。でも、にわか民主主義ではやはり限界があって、70代の人たちを見ても考えさせられますね。若い人も若い人で、民主主義や平等主義を勘違いしている部分もあるようですが。
今日は例の同窓会に参加するので出かけ、義姉のところに寄って帰りは日曜日の夜です。留守はさほど長くありません。