8月8日(木)
本を読む目的。もちろん行動を起こすためです。それだけの力が本にはある。
暇つぶしに、、教養はつかないまでもうんちくぐらい身に付けたい…そのために本を読む…読んできた。実用一点張り。
人生の応援歌のつもりで本を書いてきた人、つまり自分が描く小説は実用書だと明言した山本周五郎。
僕の中では山本周五郎は恐れ多くも職人のイメージ。自分の作ったものが誰かの何かのために役に立つ、それが生きがい(少なくとも自分のためのやりがいになる)。
僕が日記代わりの駄文を連ねていますがこれですら少しは僕に行動を促してくる。
人生は小説だという三木清の言葉を思い出す。
こうやって自分を鼓舞しています、自分の中に個性を2つ作ってお互いに刺激し合いながらやっているつもりでもやはりマンネリ化してしまいます、そんな時はやはり他人の力、本の力を借りるのが手っ取り早い。
(昨日プールでジャグジーで一緒になった方から、、私設の図書館はどうなりましたかと聞かれた。
四つ木御殿に絵本図書館を作った話をその方にしていたのですね。
あ、あれはもうなくなりました!お孫さんと一緒に遊ぶ場所として目論んだのでしたがいまいち利用者が少なくて失敗でした、、(とお話ししたものの…実はそこまで努力はしてません🤪)
今はそば打ち教室をしています、、今度食べに来てください!
それを聞いていた他の方も興味を示したので…今度場所がわかるように名刺でも作ってきますのでよろしく、、とかなんとか調子のいいことを言って別れました。
家に戻って昼食を済ませた後、早速名刺作りの用意、、僕の趣味まで書き添えるつもりです。
趣味 : 各種クラブの立ち上げ、、。
ペラペラと何でも話しておくもんですね、、薄っぺらな人間はこれでないとなかなか世の中渡っていけません、、あはは🤣)
「人生は小説」といえば、昔何かで「ほとんどの女性は自分の一生が小説になると思っている」という見解を目にしたことがあります。その通りらしくて、私の母なども自分の苦労を毎日毎日これでもかこれでもかと喋り続けて、「本が一冊書ける」なんて言っていました。
主に戦後わが家が急に貧しくなってからと、嫁に来て以来の姑の虐めの話ばかり。でも姑と同じくらい嫁もひどかった。周りへの思いやりとか配慮ということを全く知らない人で、こんな娘を嫁に出した母方の祖父母に呆れたくらい。
戦後の苦労と言いますが、差し当たり食べるには困らず、戦争未亡人になった人の苦労を思えば住む家がちゃんとあってやがて夫の仕事が見つかって、とにもかくにも暮らしていける毎日だったことは、当時の日本では大きな幸運だったと思うのですが、叔母たちを見ていても、みんな社会における自分の立場を客観的に見るという能力はほぼゼロでした。
こんな人達が書いた「女の一生」がどんな本になるのか、想像しただけで笑っちゃう。