8月6日(火)
昨日からやっといちまる文庫をチェックしだしました。
1度、目を通している本が多いので、2度目はどんな読み方になるのか興味がありました。
どの本も1度目より2度目の方が頭に入ります。1度目に読んだ時からもうすでに時間がかなり経っているので…その間に多分学習した新しい知識と照らし合わせるからだと考えてみました。
1章ごとに、大掴みで何を言っているのか分ります、、いちどざっと読んで本全体の構成もわかっているからだと思います。なぜこの章が必要なのか全体での役割を予想しながら…つまりツッコミを入れながら読む楽しみがあります。
読んでいて楽しい、上手な読み方ができている、感じがします。
今ちょっと連想したのですが…
10年前に出版された本を今読む方が理解しやすいのも、同じ理由かもしれないと思いました。
出版後10年の間に新しい見解や知識が増えているので、それとの照合で理解も深まる。
古本を読む楽しみだ。
頭の回転が悪い僕向きの読書術。
さらに連想して、、以下に述べるこんなことも考えた?、というか脱線します!(僕の頭の中では…「時間差の利用方法」という点で何の疑問もないのですが…傍目には支離滅裂必至)
最初に働きだした精密機械メーカーの人材育成。
つまり生え抜きの社員を育てる方法、、中卒高卒の社員にそれぞれ定時制高校やニ部の大学へ通わせて実社会の実践と学問を同時に学ばせる。
前にもどこかで書きましたが工場なので8時始業、4時退社、、時間に余裕があるので大学卒社員以外は先ほども言ったように定時制高校や 夜間大学へ行く人が多かった。
理論と実践…を地で行くようなものだ。大げさに言えば社会の仕組みを照合しやすい、、うーん、ちょっと強引に結びつけちゃったかも🧐
まぁいいや、、脱線したまま続けます、、
僕自身について言えば高卒の僕が大学へ行かずにその4年間で会社で学んだ事は同じ時期大学に通っていた友人たちよりも職業生活の点で1歩先んじている(とは言う物の、、僕の場合は、その間学問の上乗せ修行のための二重生活はスルーして飲み屋通い、いっぱしの呑み助に育ったわけです🤪)
話がどんどん横道にそれますが…職務等級も学歴にかかわらず同じ年齢ならば、よほどのヘマをしない限り同じ等級が得られるとても民主的なシステムでしたね(設計部の連中がなんで職工と同じ時間給なんだと文句を言っていたのを思い出しました、、いわく、我々は家に帰ってからでも設計のことに頭を使っているのにその分の時間給が支払われていない⁈
多分本音は…別の組合を作りたかったのかもしれないと勘ぐる)。
あの頃の日本の企業は生涯雇用は一般的。年齢が上がれば給料も上がる。
共産主義国家が成し遂げられなかったことを先取りしていたと考えるとちょっと愉快(天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言った福沢諭吉が生きていたら何と言っただろうか?)
もちろん日本の高度成長期に当たっていたからこそ実現できた、今から思えば一時的な現象だったのですが当時の人間なら終身雇用と年齢に応じた昇給制度、昇進制度は当たり前の感覚だったと思います(以上、もちろん私見です。
ですが、当時の日本の安定した雇用制度は諸外国にも特異性として伝わっていたと思います)。
僕が楽天的なのもあの時代のあの会社、あの頃の世間の風潮の影響もあるかもしれない。
ものはついで…
兄の通っていた乳製品の食品会社も僕が通っていた会社と事情は似たようなものだったと聞いています。
自分の結婚式の仲人をしてくれた上司が昇進試験を受けてくれと言われても全て拒否……理由がふるっている!、、昇進すると残業代がつかなくなる…それと、、休日や有給休暇で好きな山に行くのに支障があるかもしれない…
これ本当の理由です…兄は嘘をつけない性格で当時僕にそう話してましたから、、確信犯的生涯平社員。
企業別組合がしっかり機能していたあの時代について勝手な個人的な感想ではありますが、当時について兄も同じ感覚を持っていた事は確認済みです。
アメリカと違って職業別組合でないことの不合理が当時から指摘されていましたが果たしてそんな簡単に是非をうんぬんできるものかどうか僕には疑問です。
いちまる文庫をチェックしだして語り始めたつもりが…今日もまた思い出話を蒸し返してしまいました、、老人のしょうもない繰り言…ごめんなさい。
(昨日Tシャツを2枚加工した。Tシャツの袖ぐりの部分でハサミでチョッキンすると肩の部分がむき出しになります…これが快適、、すっかり気に入っています)
古い本、既に目を通した本を再読する作業は、実はこのところ私もやっています。
いろんな本があるのですが、一番時代を感じるのはサスペンスや探偵小説ですね。70年代に書かれたストーリーなどは、今の時代なら「すぐ分かっちゃう」というのがかなりあります。だって携帯が登場し、スマホが現れ、みんなあっという間に連絡して情報交換ができるようになったんですから。
たまに古い「刑事コロンボ」なんか見ても、ああ、当時は長閑(のどか)だったんだなあ、なんて感想が浮かぶばかりで。その長閑さがなつかしくもありますが。
先日アランドロンが亡くなって、独仏でも日本でも何かとニュースになっていますが、彼の代表作「太陽がいっぱい」のストーリーなども、今ならよほど賢くないとあんな犯罪を遂行することはできない。