8月3日(土)
四つ木のイトーヨーカドーは百貨店の流れをくむ遊園地である(もともとは洋服屋さんだと記憶してる)。
デパート、百貨店(百貨店とはよく言った)に近いけどそれよりももっと親しみがある。老若男女大人から子供までみんなが楽しめる(もっともこれができたおかげでたくさんの商店が廃業に追い込まれた事実はもう記憶の彼方)。
イーオンやアリオなどの郊外型のでっかいショッピングモールより下町には小規模な四つ木のヨーカドー位がぴったりだ。ショッピングモールの1/50の大きさもないだろう…適当なこと言ってます😅。
お腹がすいたら食事は和洋中華選び放題、ちょっと小腹が空いた程度ならマックへ入る。落ち着きたい時は同じフロアにある珈琲館でゆっくりお茶を飲む。本屋さんもレコード店もある。電気屋さんからペットの食料品売り場、100円ショップ、キッズの体操教室、韓国の化粧品売り場、日用品売り場、もちろん地下1階は食料品売り場、コーナーには安直なオープン式のラーメン屋さんやお好み焼き屋さんみたいなものもある。利用したことはない。
小さいエリアにいろいろなものを詰め込むのは日本の得意業ではないでしょうか。それが最近では観光資源にもなっていると聞く。
近所の公園で緑陰を楽しむにも木々が少ないのでヨーカドーみたいなスーパーに入る方が椅子も置いてあるし店内の飲食店で食事も喫茶もできるので年寄りには一石二鳥、安価に時間も潰せる。
以前の住まいの目の前にあった食料品店Big-Aが離れてしまったので、焼き芋ルーム閉じこもりのぼくもヨーカドーを重宝にしている。
さてイトーヨーカドーの宣伝はこれまで。
目を転じて、わが陋屋のすぐ近くの環境は、といえば、、日々、激変してるように見える。
バス通りは年がら年中古い建物が取り壊されあっという間に新築ビルや小さな商店に早変わり(しているように見える、何せ閉じこもりきりなので…)。
小児科眼科リハビリセンター歯医者が目白押しで…友人に聞いたらこの通りは医者さん通りと言われているらしい、と前にも言いましたね。
安直なスポーツ施設もできた。気をつけてみると自分で予約してコーヒーを焙煎するシステムの店もすぐ近くにある。普段は誰も人がいないことが多い。アンテナショップみたいなものかなぁと思います。
何度そばを通ってもケーキ屋さんなのかパーマ屋さんなのかわからない、新しい店もある。もうわからないままで気にもならないので放っておく。向こうも僕なんか相手にしていない。
道路整備だけは長期的な日程で本当に少しずつ、それでも着々と進められて…そのスピードよりも早く先読みで道路沿いの風景が変わっていく。道路は公共事業体頼み、町の発展は民間任せ、、よくあるパターン。
裏通りに住んでいる僕にとってはそれが面白い。町全体が生き物みたいだ。取り壊されて立ち上がるのは集合住宅が多い。
住人の世代交代もゆるゆると見えて、結構なスピードで着実に進んでいるのがよくわかる。
以上、穴あきだらけで、舌ったらずにわが街を語りましたが、こんな荒っぽいサンプル抽出でもある意味変貌しつつある東京の縮図。
以上ほんとお粗末な定点観測ですいません。こんなこと書くと思いませんでした。
と言って何を書くのか決めていなかったのでこんなことになってしまいました。
最もこれからもこんな調子です…あはは、🤣
(まもなく数世紀にも及ぶSF小説説「三体」読み終わります…小説の流れは架空、虚構の未来図なのですが未来から眺める現在のヒントが満載です。異星人との遭遇パターンはSF小説の定番とはいうものの、小説の中の時間の流れによって歴史小説をさかのぼって読読んでゆくような錯覚に陥りました。
つまり現在を過去と見立てる仕掛けです。異星人や異次元空間が出現すれば当然、前提条件が覆されるわけで人類としての考え方立場を試される「踏み絵」を突きつけられる。まだ読み終えてはいませんが…「面白かった」です(こんな言い方がしてみたくなるほど過去と未来が入り乱れて見えてきました、、きっと脳の中はそうなっている)。
未来を見るのは面白い、、怖いもの見たさは他の動物には見られない人類の特徴かもしれないなと今ふと思いました。あえて地獄の蓋を開けに行く…か。とりあえず地球という天国があるのに、、。
人間の条件…そんな小説もありましたね。
7月末から会社は夏休み、数人が修理や整備に来ていますが、私たち老夫婦もいよいよ休暇を取ります。十日余り留守にしますので、いい子にして待っててね。
人間の条件、そんな小説もありましたし、映画にもなりました。戦争の話ですよね。母が叔母と見に行って、後で食事中にサワリの部分を話してくれましたが残虐で聞くに堪えず、食べていたものを戻しそうになりました。母はそういうことに実に無神経な人で、子供として相手に注意できないことが腹立たしかった記憶があります。
実は先日、高峰秀子についてその養女になった人が書いたものを読んでいて、この女優さんも「人間の条件」の第5部に出演していることを知りました。興味を惹かれて調べると、この映画の脚本はご主人の松山善三さんなんですね。
50年代に二人が結婚したとき、善三さんは月給1万円の助監督、秀子さんは出演料が一本100万円の超花形女優。でも後に善三さんの収入が奥さんと同じレベルになり、その頃に秀子さんは(大喜びで)引退したようです。因みに、秀子さんは女優業がいやでいやでたまらなかったそうです。分かるなあ、これ。女優なんてものとは無縁の私ですが、自分ではない人間を演じなければならない、カメラに向かって微笑まなければならない、一般大衆の反応を気にしなければならない・・・等々、なんてひどい職業だろうと思ってしまう。ほんと、無縁でよかったわ。負け惜しみと言われても、これは断然本気です。
厭な人間と付き合わねばならないことほど辛い職業は無いと思います。といっても、仕事というのはたいてい浮世の義理で相手は選べないんですよね。曽野綾子さんも少女の頃から人との付き合いが苦手で、一人で何かを書いて、それを襖の隙間から編集者に渡せばいい作家業が志望だったと言っていました。
働かなくてもよくなった現在、先輩だの上司だの同僚だのがいないのはホントに清々しいんですが、こちらの日本人の友人がわりと頻繁に接触してくるのにちょっと困っています。無論彼女に悪意なんかなくて気のいい明るい人なんだけど、私「濃い関係」って嫌いなの。会ってお喋りはせいぜい3か月に一度でいい。君子の交わりは水の如し、って昔の人はいいこと言いますね。父親が「人間は控え目なのがいい」と言っていたのが今になってよく分かるわ。