8月2日(金)
プールで会う人には一応知らない人にも挨拶する。もちろん怪訝な顔をされる。こっちは一向にそんなこと気にしないで挨拶し続けていればそれがいつしか顔見知りとなり、言葉を交わすようになる。
そもそも仏頂面をした連中をかまっていると面白い。精神構造が見えてくる。社会心理学のフィールドワークのつもり。何様のつもりなんてツッコミも聞こえてくる。
昨日そんな仏頂面組の1人が別の人と素敵な笑顔でロッカールームで楽しそうに話してました。こんな笑顔が作れる人だったんだとびっくり!
まぁそれは当たり前でびっくりする方がどうかしてる。
僕らはみんな一人一人が世界の中心にいる…なんて当たり前のことに今更思い当たります。
自分中心で考えていることの結果、、びっくりもする。人それぞれ自分の世界を持っている、その当たり前のことを思い出すたび毎度びっくりする。
びっくりしている自分にびっくりです。今まで何を、どう考えていたんだろう?ガリガリの自分中心主義…自己中。
(何を言ってるかわからないと思われるかなぁ?)
生きて在ることのかるみと重み、、夏の暑さで少し頭がやられたかもしれない…あはは🤣
(昨日、「三体」の最終巻を読んでいて、高校2年生の夏休み、吉川英治の宮本武蔵6冊位どさっと僕に貸してくれた同級生の友人のことを思い出した。僕が頼んだわけではない。僕は読むに違いないと考えてそんな行動をとったわけで、考えたら不思議な人だ。彼は後に高校の国語教師になったと知った。
「三体」シリーズ5冊の分量が宮本武蔵の数冊の分量を思い出させたのだと思います。
そうか今は僕の夏休み…そう思ったら、傍目には単なる閉じこもりなのに、また楽しい気分が味わえる。
今日もまた暑くなりそうなのだが高校生の気分で暮らそう)
挨拶の意義、これは子供にちゃんと教えておくべきだと思います。実際、私の田舎でも先生の指導があるらしく、朝早めにごみ捨てに行くと会う子どもたちがちゃんと「おはようございます」という。こういうことは私の子供時代はなかったですね。
仏頂面と笑顔といえば、私の家の隣(土地は我が家の一部で、駐車場と通用門の間)に戦前から小さな家を建ててそのまま住んでいる一家がいて、お婆さんが亡くなり、未亡人だったお母さんも亡くなった後、息子さんが独身で済み続けていました。戦前からの住人なのと、家が小さいのとで、我が家に支払う土地代は年間2万円。年間ですよ。
その小父さん、私より一回り上ぐらいで、背が高くてなかなかいい男、若いときは釣って来た鮎やウナギをそのお母さん経由でわが家に届けてくれることもありましたが、一人になり、もともと不愛想だったのが次第に頑固さ・偏屈さが顕著になって、近隣ともほとんど付き合いがありませんでした。以前から、私や弟妹が知り合いを連れてきてワイワイ言いながらその家の前を通ると、窓をピシリと音立てて閉めて、うちのダンナなども「感じの悪いやっちゃ」と怒っていた。
それがコロナで私が日本にいた13カ月間、ごみ捨てに行くといつも散らばったトレイや食べ物の残りをちゃんとゴミ捨て用の袋に入れ直している。時々見る洗濯物がなかなかきちんと洗われているので、几帳面な人だとは思っていましたが。
そして挨拶もちゃんと返してくれるようになりました。昨年の私の帰国時にはお客さんが多くて何度か寿司の出前を取ったのですが、大体多めで残るので、最初から1.5人分くらい取り分けて義弟に持って行ってもらうと、翌日「大変おいしくいただきました」とニコニコしながらお礼を言われ、ああ、こちらは70代半ば、向こうは80代後半になって、初めて隣人らしくなったな、と嬉しく思っていました。
それが今年の春、義弟(わが家の管理をしてくれている)からの電話で亡くなったことを知り、親しいお付き合いの短かったことをとても残念に思いました。1人暮らしで友達もいないようだし、県内には妹さんがいるけれど訪ねて来たのを見たことがないし、何かあっても、寝込んでいても、そのままほったらかされているといけないから気をつけてあげてね、と義弟に言っていたのですが、自分で病院に行ったのか救急車を呼んだのか、病院で亡くなったそうです。
それで住んでいた家の相続者は妹さんになりますが、彼女は欲しくないので「家は解体して更地にして返します」と言っているそうな。解体費を調べると木造なら坪3~5万円ですって。15坪くらいの家ですが、それでも50万円くらいかかる。几帳面な人だったから、それくらいの費用はちゃんと残してあったんでしょうね。
でも最後に仲良くなれてよかった。