8月1日(木)
三体、、で構想された物語は未来小説のたくさんのヒントを含んでいるので、ここから派生してたくさんの物語が誕生する予感がする。
そうそうやって作られた物語は亜流に見えるかもしれないがそうとばかりも言えないと僕は思う。
僕は若い時から現実が信じられなくて、その頼りなさばかりを感じていた。裏返せば幻想にも確かな力があると思っていたのかもしれません。
だからこそ三木清が言っていた、人生は小説であるという言葉が気になっている。
高校1年生の時の現代国語の先生が私たちは夢の中には生きられません…現実を生きていかなければ…とちらっとおっしゃってましたっけ。彼女だって当時20歳代前半、、どんな人生の小説を書いたんだろう?
あ、SF小説三体の話をします。今最終巻を読み始めたところです。
高度に発達した異星人に地球人は「虫けら」と呼ばれています。漫画に出てくる一滴の涙🥲のような形の兵器で地球防衛軍の艦隊はあっという間に殲滅されてしまいます。
地球の技術のブレイクスルーは相手の妨害で遅らされ、一方異星人の技術は驚異的に加速されている未来社会。この話のオチはどうなるか分かりませんが相手の真意をお互いに探り合う経過にハラハラしながら進行していく物語はついつい読み進めてしまいます。
ところで僕は、虫けら…についても知らないことが多すぎる。虫けらの仲間、例えば芋虫からさなぎになってそのさなぎの中でどんな変態が行われているか実際のところはあまりよくわかっていないという話を思い出した。わかっているのは劇的な変化であるという事。
虫けらはいろいろなものを媒介するし、農作物にも取り付いて悪さをするから駆除する。虫けらを駆除し続けてきた人間が今度は虫けら扱いを受け駆除されていく物語なのかなぁ。
この物語の最初の方でかのゲーテの言葉が暗示的に提示されていた…うろ覚えですが…乙女に恋いする青年の言葉…私があなたを愛するとして…(その行為は)そなたに何の関係がある…つまり確信犯的愛の一方交通?
異星人が述べる…われわれはお前らを殲滅するとして…それがお前たちに何の関係がある、、と重なります。
上から目線くらい腹立たしいものはない…僕の反応はまさに虫けらの反応、、この物語が2900万部も売れたのは僕らが虫けら扱いされたから、その反動?
一寸の虫にも五分の魂、、を展開するとこの壮大な物語になるのかな
物語を読みながら僕自身が物語を紡いでいる感覚にとらわれる。
僕はエンターテイメントに飢えている…なんちゃって。
(昨日はビールを飲みたい気分になったのでビールを買ってきて飲みました。それだけ暑かったからだと思う。
ちょっと暑いとアイスクリームが美味しくて、もう少し暑いと、かき氷が食べたくなるとか。
僕はまだ両方とも食べていませんしあまり食べたいと思わない。冷凍庫に氷も入ってません。
少しばかりのお酒が美味しくいただければそれで充分、それが最優先だからその他の事はあまり気にならない。
水泳はいろいろ試してみた結果…最優先するものが決まりました…
その日、僕自身が気分が好くなる泳ぎ方をその都度採用する、、。
僕がまだ30代の頃、気持ちの好いことを最優先する人と遭遇したことを思い出しました…やっとその人に追いついたと思うと…やはり僕は超奥手😅。
さてと今日から8月…やっと暑さに慣れてきた…夏は着るものが身軽でいいですね。
そのかわり、ちょっとした外出でも、足元はしっかりスニーカーを履いてきちんと歩くようにしています)
おはようございます。こちらは間もなく8時です。そちらは3時、そろそろ陽が傾き始めるころ。
現実の頼りなさ、幻想の力。それは多くの人が無意識に感じているのかもしれません。子供の頃、自分が無力なこともあって、現実に手ごたえのなさを見ていたことは確かです。
そうそう、その前に昨日の入浴車の件ですが、そんなものがあることを私は知りませんでした。老人や障碍者の介護の世界も日進月歩なのですね。田舎で入浴のためにデイサービスに行く人が周りに結構いて、彼女たち(女性が断然多い)はお迎えの車に乗って、社交も兼ねて喜んで出かけるのですが、外出が好きでない人にはちょっと…と思っていたので、入浴車が巡回してくれるなら有り難い。わが家は駐車場もあるから-なんて自分の都合に合わせて考えました。しかし、現実的な私のこと、そのための国家財政は長寿とともにどんどん増えていくのだろうと、ふと不安を覚えました。限界に達したら、かつての「棄老」の慣習が戻って来る、なんてことがありませんように。
これは実は既に半分現実になりつつあって、80年代から福祉先進国の英国などでは足腰の手術は70歳を過ぎると保険が効かないんですって。自費でやって下さい、と言われるんですって。それで全部無料のフランスに移住して手術、という老人が多いそうな。でもそのフランスは目下EU中でギリシア/イタリア化しているんです。つまり二重の赤字。この厳しい現実を前に、英国人を受け入れる余裕は間もなく無くなると思います。
幻想ではありませんが、昨日太陽系(これも現実、でも遠い現実は幻想に思える)のことを考えていて、ふと冥王星について調べたら準惑星とあり、準惑星というのは木星と土星の間に集中して散らばっているんですね(集中して散布というのは矛盾語ですが)。恒星、惑星、衛星、それらの名前がとても面白い。ジュピターとかサターンとか、ウラヌス、ネプチューン。古代の人が現実にあるものに与えた幻想的な名称。
夜空を遠くながめて現実の苦労を癒したギリシア、ローマの人たちを想像しています。