7月29日(月)
毎日自分の家の中を自分の気に入るようにどこかしら整理したり直したりしている。
一日も一生も同じだと言ったのは僕の父です。今それを思い出しました。
この頃、、しみじみ尊敬できる父母がいて本当に良かったと思います。子供の幸せは父母が作る。
楽天的なところがあるとすればそれは父から引き継ぎ、慎重なところがあるとすればそれは母から引き継いだ。
今好きに暮らしていることが僕が求めていたものかもしれないと思いました、、毎日それに向かって働いたり動いたりしてきた…ちょっと単純に合理化しすぎているかもしれません…うーん、どうかなぁ?
でもそういう合理化をすると落ち着く。
それとは別に、試しに…もし僕がいくつかの理由で現在不遇であったと仮定してみる。
そうですね…人間関係のトラブル…日頃接触している人が少ないので、あり得るとすれば…言いがかりをつけられた場合が考えられる…つまりうまいこと騙されて少しばかりの身の回り品を巻き上げられる、、とか。
または、身体的な不幸が襲う、不治の病に陥る、、
闘病するだろうか?
今の予想では多分しない。
認知症になる…その予兆はあるだろうから対処する時間もあるだろう。
とにかく、天災を含めていくつかの不幸が襲ってくる事態、、精神的にどういう状態になるだろう?
残り時間が少ないのでそれが解決方法、というか妥協方法を生み出すような気がします。
人生は小さな事件の集積でその集積の中に紛れ込んで、やがて忘却される。僕だってそうしてきた、と強引に自分自身を捻じ伏せる。
今は幸運であることに感謝して、亡くなった後、あからさまになってしまう恥は…まぁ旅の恥はかき捨て、、というところに落ち着く、、まぁ書き出してみるとそんなことを考えているのかなあと思えてきます。ま、今日のところはここまで。
スマホにニュースが流れる。パリオリンピックで48キロ級の女子選手が金メダルとか…そのすぐ下にガザ地区で中学校が爆撃を受け多数の死者が出る…またそのすぐ下に集中豪雨の被害が写し出される…次から次へ、次のニュースが積み重なっていく、、というかスマホの画面を見ている限りニュースの下へ下へ潜り込んで行く。
これで僕らの感覚がおかしくならないほうがおかしい。脳内ではどのように処理され何が蓄積されていくんだろう、脳にお任せでいいんだろうか?
ニュースの選択を含め既に流れに身を任せている…ちゃんと選択しているのかさえ危うい現実。
3日ほど前からクレジットカードで決済できるものはそうすることにした。本屋さんでもスーパーでも僕が出入りしているところはほとんどそれで済ます。小銭をジャラジャラ持たない分だけ身が軽くなった。
そのうちチップもクレジットカードで払うようになるのだろうか?
遅ればせながらそんなスタイルを取り入れて未来社会を生きている気分。銀行に残高がある限りあっという間にライフスタイルが変わる。外国へ旅をするのも多分このスタイルで通用する時代だろう。
昨日は半日SF小説を読みながら、時々休憩を入れてみると…気がつけばその小説に描かれている未来から今を見直している僕自身を発見。それは…ちょっとした冒険気分。
実際の旅に向かう気持ちゼロの僕は手近で旅の気分を味わえる小説の中に生きている…こんな自覚が持てること自体、面白いなと思います。
読書は知らない人に出会い、知らない風景に出くわす旅と同じ、、か。
仙人気分を味わえるまでにはまだまだ相当旅をし続けなければならないだろう。
ところで手近で仙人気分を味わうために、今日から「水中禅」を目指す(今思いつきました!)、、
おっと、その前に忍者気分を味わうために古式泳法の本まで注文してあったんだっけ…そろそろ届く。
小堀流の本格派版ではなく普及版の安い本、、僕には正式より亜流、ニ流が似合う、あはは🤣
(1番近いセブンイレブンが100メートル先にある。
そこに買い物に行く時曳舟川の「めだかの小道」を通って行く。幅1メートル位の親水公園の続きの小川沿いの水辺には、アカマンマみたいなやつをも生えている。あとは剣先の長い草が両岸を覆っている。
荒川から導水しているらしく時々大きな鯉が2、3匹メダカなどを捕食に来ている。それでもよく注意してみるとかなりの量のメダカが生き残っている。繁殖もよくなされているのだろうと思う。
脇の小道にはひらがなの「し」、英字の「C」「?」の形にたくさんのミミズが干からびている。
シオカラトンボが「P」の字を右手倒した形になって小川の上を飛びながら器用に交尾している。
揚羽蝶も興奮気味かつ、でたらめに朝日の中をひらひらしている。
以上、今朝の風景でした。
干からびてミミズの腹は上か下)
旅の恥はかき捨てといいますが、私たちはみんなこの世の旅人。だから生きているうちの恥を慎もうというひともいるかもしれませんが、大方は「死んだらどうってことないや」というのでかき捨てになるケースが多いと思う。これが「家」というものに価値を置く時代であれば、後裔・子孫が恥ずかしい思いをしないようにという人もいたでしょうけど(実際は、最期になると「もう、知るかい」というジイサンも多かったはず)、個人主義の時代には子孫に配慮することなどもない。
私の場合、母が無恥の権化みたいな人で、それも父親の存命中は彼の影に隠れて見えないことも多かったのですが、一人になってからがひどかった。よく小遣いが足りないの年金が少ないのと文句を言い、少ない脳みそをフルに使って私から何とか「巻き上げよう」と懸命でしたが、煩いしこちらは忙しいので言う通りに送金することもありました。あるとき、何かでまとまったお金が要るけれど、それを払うと数カ月分の年金の相当すると泣きごとを言い募るので、「そのために遺産として受け取った貯金があるじゃないの」とは言ったものの、根負けして送金してしまった。
母の死後、古い銀行通帳が見つかり、捨てようとしてパラパラめくってびっくり。私が送った数十万円がその翌日に弟に振り込まれている。最愛の息子に無心されて、嫌とはいえず、といって自分のお金を出すのも惜しい。そこで私からむしり取る方法を考え、まんまと成功したというわけです。まあ、これは身内の恥だから、と思っていたら、知り合いの数人から似たようなひどい話を聞かされ、母がこの世に残した赤恥に私は何度か赤面させられました。「尊敬できる父母がいた」といえる方がしみじみ羨ましいです。
あ、計画倒産の話ね。これ、こちらでも多いですよ。大富豪がチェーンストアの経営に失敗して数百億円の借金を作り数千人を失業させ銀行への借金も踏み倒したけれど、財産は自分の妻子の名義にして地中海の島で余生を優雅に、というケースをいっぱい見聞きしています。
そこまでいかずとも、亭主の同業者で「お買い物はパリですの」とその奥さんが自慢し、本人もポルシェにローレックスにと見せびらかしていた人の会社が倒産。でも潰れた会社が作った負債で私的な借金じゃないから、自宅や所有地を売って債権者に支払う必要はない。どころか、その人が最近自分の所有地に風力発電用の風車を立てたいという地方自治体に土地を高く売って、数千万円を手にしたのに、納入業者や銀行への借金は一文(一セント)も返さず、遊び暮らしているそうな。
さらにこの企業はかつて「雇用の促進」ということで多めに従業員を雇い、州から毎年多額の補助金を手にしていたのですが、今となってはそれらもドブに捨てたようなもの。倒産前からウチの亭主は「一般市民の税金を補助金としてもらっておきながら、従業員をずっと最低賃金で働かせている」と怒っていました。その分はパリでのお買い物に消えたのね。
昔は商売に失敗して夜逃げという話を子供の頃にも耳にしたものですが、今は「有限責任」とやらで事業家のリスクもほとんどない。そしてそういう人を見る世間の眼も「ヤサシイ」。みんな明日は我が身と思うのか、同じやり方で逃れようという魂胆か、そういう利己主義や無責任(ときには犯罪的)をあまり責めないのですよね。無罪放免になるからだいたいやりたい放題で、頼みは本人の良心のみ、でもまともな良心を持つ人など多分100万人に一人もいないと思う。
この世の恥はかき捨ても何も、そもそも恥なんて小指の先ほども感じていないんだから。