7月28日(日)
朝起きる。さっさと布団を畳んでしまえば良いのですが…最近は起きて椅子に座って何もしないことが増えました。
こんなのなんて生まれて初めて。起きた途端に動き出すのが普通でしたので、こんなちょっとした変化が面白いなぁと感じます。
何でもかんでも「老化」と理解しては面白くない。それじゃあ最近のお医者さんの口調と同じ。不調を訴える老人に…それは「老化です」。
いかにも正しいらしい「合理化」だと考える方が面白い。つまりその考えは疑わしい。
朝起きて少しじっとしているのは今日の作戦を考えているから、と考える。
動物は身の安全が確保されたと思えば、あとは餌の心配だけ。僕は人間なので、しばらくぼーっとした後は、一応その日の予定なんかかっこつけて考えてみる。
まぁとりあえず朝食べるものを考える。とりあえず絶食状態を解決する。牛乳を飲んでみたり野菜ジュースを飲んでみたりパンを焼いてかじって見たりしているうちに…味噌汁を作る気にもなるし、ちゃんとご飯を食べる気にもなる。
ならない時もある。残り物で済ますことができた場合、これは手間が省けるのでちょっとうれしい。
残り物が美味しくないことはない。空腹は最大の食欲を引き出す…何を食べてもおいしく感じる。
と、突然、今、高校の時の現代国語の本に載っていたリルケの詩を思い出す。動物園に囲いこまれた猛獣の悲しみの裡にその矜持が一瞬蘇る一節だ。
動物園の檻に入れられた猛獣はどうやって矜持を保つのか、それが問題だ。
人間にとっても変わらぬ問題だ(それはいつか、怒りとして発散されなければならない。僕の怒りはどこへ行った)。
もしかしたらサルトルの言いたかった「自由(を身分保障されること)の刑罰」とはこれを意味していたのかもしれない。自由の代償。
(サルトルが詩人に思えてきた。僕の好きなタイプではないけれど)
だからといって、自由であるがための必要な暇つぶし、、飼い猫じゃあるまいし餌がわりに情報を与えてくれなくて結構、遊んでくれなくて結構。情報が欲しければこちらから取りに行く。ほっといてくれ(まぁ、そんなことあえて言わなくてもだいたい、放っておいてくれる。各自、自分の頭の上のハエを追うことの方が大事。
(先日初めてセルフレジなるものを経験した。買った品物のバーコードをバーコードリーダーに読ませ、合計金額をクレジットカードで済ます、、まぁこれなら僕でもできる。
店員さんは客がずるをしないように監視人に早変わり?
本を読んでいるとあっという間に夕方…これも最近の新しい経験だ。今読んでいる小説が面白いことがその原因だ…読み続けられる。
新しい経験に出会えているということなのだと思う。
昨日は、読書にケリをつけて、いっぱい飲む前に考えていた工作をする。
ジョアン・ミロ(ホアン・ミロ)の画集をページごとにバラバラにして、家具の扉だった枠を使って飾ってみたらこれがぴったりはまった。
これにスポットライトを当てて布団に寝ていて見上げるとちょっといい感じ。画集の他のページの絵に貼り替えればすぐに気分も変わる。
未来のインテリアとして、額縁の中にいかにも本物らしい質感まで実現した絵画を配信できるまでになるだろうなと思う。
高画質テレビがその先駆けかもしれない。
今、商品化されたらもしかしたら買いたい?
売り出しの価格設定は新商品のため当然高くなるだろうから…やはり僕は買わないかな…
そんなことより…絵画鑑賞における補償心理と同じで想像力で本物を頭の中に描けるように僕らが進化すればいいだけのこと…なんちゃって…あはは🤣)