7月24日(水)
明日のことしか考えられないよとあきらめ気味に語る僕の先輩がいらっしゃいました…そうですとも僕もそうですと相槌を打ちました…お慰めするちょっと悲しい気分で。
ほんの少しだけ未来を生きてみる。遠くの未来を想像するからちょっとしんどいのかもしれない。
1週間後も立派な未来だ…そう考えれば、ぼんやりとしか想像できない未来が近づいてくる。それだってちゃんとした未来だ。
その一方で、都合よく忘れる過去、強引に書き換える未来というのもあるみたい。
例えば中国の文化大革命で紅衛兵として暴れ回った連中の未来はどうなったか?
現在が不遇であれば自業自得と切り捨てて良いものか。または、過去を忘れて安穏と暮らしている者がいるとすれば彼我を分けたものは何か?世渡り上手?世渡り下手?
記憶を消し去りたいような過去を持たされた人間はどうすればいいのだろう?
ロボットじゃあるまいし人間の頭脳は都合よく過去に上書きはできない。
忌まわしい過去が次の歴史の点火装置に変換することもある。
スターリンの何千万人の大粛清も、文化大革命の先鋒、紅衛兵たちにより吊るし上げを食らった大量の人たちの怨念も過去の歴史として残るだけでその深い傷跡は忘却で上書きされて行くように歴史の堆積の中に埋まっていく。そんなに都合よく世の中進んでいくものなのか?
毛沢東の愚策に異を立てる側近はいなかったのか、そんな棚卸しも済まさないまま、現代の中国の若者たちの記憶にすら残っていないのではないかとまで僕はふと考えてしまいます、、まさか。
忌まわしい記憶は呼び覚ますことなく消し去りたいと思うのもまた人情のような気もする。
そんな器用に自分の気持ちを合理化できない人たちもいる事は確か。それもまた人間らしい。それこそ人間らしいと言うべきかもしれない。
絶望した人間が機会を得て、宇宙のどこかに存在する高度に発達した知的生命体と交信することができたとしたら…その知性を借りて地球の歴史の上書きを試みるような小説がありました。
絶望にとらわれた人間が禁断の木の実に手を出してしまうようなスリリングな小説。
四つ木御殿に寄付されていた、劉慈欣の「三体」がそんなSF小説でした。続編を含め5冊もあります。その初編、昨日半日使って読み進めました…まもなく読み終わります。
三体/劉慈欣著/訳者 大森望・光吉さくら/早川書房2019年7月初版発行
SF小説の最大の賞、ヒューゴー賞を2014年に受賞している。最近映画化もされたとか聞いている。
ワイルドスワンを読んだときのことを思い出した。
毛沢東に焚き付けられた紅衛兵たちに資本主義的思想と決めつけられた人物に対し、その魔女狩りに似た高揚感に伴う残虐な所業の断片の描写だけで文化大革命がどういうものであったか想像させる目に焼きついてくるようなシーンが衝撃だ。
父親を目の前で残虐に殺された科学者が、紆余曲折を経て、反動分子の疑いをかけられたまま世間と隔絶された宇宙関連施設で働きだす。そしてそこで、彼方の宇宙生命組織と通信するきっかけを得て、地球の改変?を試みるSF(まだ結末を読んでいませんが…)。
地球外生命体の進歩した英知を借りなければ地球は救いようがないと主人公が考えるのも無理はないかなとチラッと思いました。
そう思った瞬間に僕も十分にペシミスティックな一面を持っていると思い知る。
せめて中断している未来小説では夢を語りたい。
ぼくの小説の中の籾ニはまだ死んでいない。亜紀だってこれから復活する。いつ?
唯物思想に一矢むくいたい野望がありますが、再開の見通しが立たないのです。
再開する夢は持っている、、たとえ先が知れてても、夢を持つのは自由、、あはは🤣
中国の文化大革命で紅衛兵として暴れ回った連中、と聞いて思い出したのですが、わりと最近、服役中だった元赤軍派の犯人が刑務所で死亡というニュースがありましたね。食べ物を詰まらせて、ということで、これはいくら何でも事故に見せかけて殺したなんてことはなさそうです。
それに対して、例えば少女の売春を斡旋していたエプスタインなどは、そのクライアントに英国のアンドルー王子もいたし、乱痴気パーティにはビル・ゲイツも顔を見せていたなどすごいセンセーションを引き起こした人物で、トップクラスの著名人がやり玉にあがっていることから密かに自殺と見せて殺したという説が出るのも当然でしょう。(ビル・ゲイツの離婚はこの事件がきっかけだと思います。全財産を折半する代わり離婚の理由は一切口にしないという契約があるらしく、元夫人は口をつぐんでいますが、最初離婚の噂が出たとき彼女が「もう夫として信頼できない」というようなことを言っていたので、やっぱりと思いました。彼女は察するに知的でまともな女性だから、信頼できない男と夫婦でいることには耐えられなかっただろうと共感します。実力も十分にあって、カネさえくれるなら、という女郎根性の女ではないはずです。)
それでこの稲垣服役囚ですが、76歳で私と同い年、70年代早々に世間を騒がせた赤軍派の人間は私より若干年上が多いのですが、この人は同じ団塊の世代だったのですね。
浅間山山荘事件とか、せい惨な仲間内のリンチ事件とか、当時は若者の狂気に世の中が振り回され、その中には坂東国男のように父親が「死んでお侘びを」と首を吊った人もいた。「殺人犯を生み育てた親」と弾劾する当時の世間も残酷そのものでした。結局その息子は何かの人質事件で交換に解放され今も逃亡中ということですが、この人も来年には喜寿を迎えます。どこでどんな暮らしをしているのでしょう。やはり、同じ時代を生きて来た人間として気になります。心安らかな、穏やかな日々を永久に放棄して半世紀余り。後悔はしてない、と本人は言うでしょうけれど。だって、そう言わないとあまりに悲惨な人生じゃありませんか。