7月21日(日)
思い出…僕の酒飲み友達の家に行った時、子供部屋の引き戸全体に厚めのステンレスの板が貼ってあった。その理由は、、先方が僕に話したかったらしく…子供が刀で暴れてもいいようにこのようにしました…なるほど…わかったようなわからないような理由。
当時は中学校で学級崩壊が叫ばれ、中学生が暴れていた時代だったのかなと思います。
母がまだ存命の頃その彼が僕の家に遊びに来た(この話も蒸し返しかもしれません)…焼肉用の上等な肉を携えて。
そんなの僕がめんどくさいので、外に連れ出して飲んでおしまいなのですが…
ちょうどその頃彼の家では家の建て替えで日本建築から8階建てのビルに建てかえる真っ最中でした。
その時、今まで住んでいた古い家を取り壊した床から刀が3本出てきた。もちろんその後銃刀法の届け出では済んでいたにしろ、その3本重かっただろうに僕に見せるためにわざわざ電車を乗り継いで担いで持ってきたのだ。
今思うと大いに変わった人だったかもしれない。本人にその自覚は全くなし。専攻は陽明学と聞いていて、本人曰く将来を嘱望されていた、、らしいが、傍目には、単なる大酒のみ。
変わった人って自覚のない人が多い。僕は自分で変わってると思わないけれども相手がちょっと変わってると思っていたかもしれないと思い当たる事はあります。
中学校の友人に言わせると僕は「あえて変人たらんとしている」そうだ。つまり内実は普通の人。
さて、、その陽明学の友人も変わっていた人が多い。この話をすると長くなるのと、僕にとっては面白くても他の人にとっては面白くないと思うので今日のところはやめておきます。あ、でも前にも話したかもしれませんけど…ちょっとだけ…彼の友人の1人で後に僕の友人にもなる人がいまして…その彼が自分の会社の従業員のリクルートする方法がユニーク…上野に行ってプータロウ(失礼!)つまり路上で寝泊まりしている人たちに話をつけて従業員にしていたのだ!ボランティアではない…手っ取り早い彼の編み出した方法。
今日これを書いたのはこれからは思い出話も少しずつしていこうかなと思いついたからです。
最近、少し自分の時間が取れてきたからやっと昔の事を思い出す余裕が出てきたのだなと思います。
最近変わった人に出会えていないので昔出会った変わった人のことを思い出し始めたのかもしれない。
まぁ他の人はこんな話聞いても面白くないんだろうなぁとは思いますがとりあえず自分が面白ければいいかなと思ってたまに出てくる僕の思い出話も我慢して聞いてくださいませ。
(昨日は本当に暑い日でした。そんな中そば打ちの講師Iさんが奮闘してたくさんのそばを打ってくださいました。
僕は出来上がったそばをとりあえずご近所のニ軒に配り大いに喜んでもらえました。
その後は久しぶりにPさんと四ツ木駅近くの料理屋さんで暑気払い。仕上げは近くの喫茶店でコーヒーとケーキをいただいて別れました。
別れた後無事に家にたどり着いたことを確認して、炎天下熱中症にもならずお互い無事で良かったと思いました、、冗談抜きに高齢者の昼間の外出は命がけ)
陽明学と聞いて、最初私は陰陽学と勘違いしてあれこれ考えました。儒教を源泉とする陽明学の発祥は明時代だというからかなり新しい分野ということになりますが、徳川時代の封建社会を席捲していたのは、この陽明学なんじゃあ、と思って調べると、むしろ明治時代以降の国粋主義・排外主義に大きな影響を及ぼしたそうな。
徳川時代というのは、とにかく安定・秩序・慣習継続が第一で、すべての制度はそれらを守るためだった。男尊女卑も長男による家督相続も、士農工商も、そこから生まれて日本人の精神を支配し、そして明治「維新」とはいうけれど実際は新しいものなんかなくて、科学技術だけが西洋から輸入された。それを「和魂洋才」なんて言葉でちょろまかした政治家は、まあ、馬鹿ではなかったわけだけど、そのゴマカシが効かなくなり、自由とか平等などが人の生活の中に息づくまでには悲惨な戦争を経る必要があったわけですね。
ここでついでだから間違えた陰陽学についてちょっと書かせて。
陰陽学/陰陽道というの、若いときチラと聞いて、そうか、ここから仏滅だの吉日だの鬼門だのという迷信が生まれたのだな、という程度の認識でした。かなり年取って日本史にも名を残した安部晴明のことをこれもチラと耳に挟み、この人物にまで遡る陰陽寮なるものが明治時代に廃止されるまで続いたと聞いてびっくり。日本のようにのんびり、というか静止したような農耕社会でも、天文学とか暦学とか、その他森羅万象に関する博物学的な知識への関心はあった。科学などと無縁だった時代に、人(生物一般)の命の源泉とか宇宙の摂理とか懸命に探ろうとした人々がいたんですね。
陰と陽といっても善悪二元論とは違うとあり、陰と陽は互いを排除するものではないそうで、私はこれ、テーゼとアンチテーゼとそれらを止揚したシンテーゼという理屈の弁証論に似た所があるように思います。残念ながら、東洋では止揚という概念までは届かなかったみたいだけど。
コペルニクスもケプラーも出なかった日本で、でも10世紀に生まれた安部晴明はかなりいいとこまで行ったと思う。天才は一人では育たないから、培う時代精神もなくて年収2億円くらいの超高級役人で終わっちゃった。生まれる場所も時代も人は選べないからね。