7月18日(木)
焼き芋ルームに四つ木御殿から引き上げてきた不似合いなガラクタをそのまま置いてみたら…あら不思議…物置小屋に大変身。
部屋の中に、とりあえずあまり意味のないものがあるとこういうことになるのかと改めてびっくり。
もう少し正確に言うと…たまたまそこにあるわけではない。捨てる気になれなくて「とりあえず」場所を作っておいておいただけのもの。
頭の中では同じような事が毎秒ごとに起きているのだろうと思う。
僕の昔の知り合いに、「散らかった部屋が好き」と言う人がいたけれどいまやっと少し理解できた気がした。
ガレージや地下室にいろいろな道具や趣味の品々を置いている人は多いと思う。ついでに、その人たちのことも少し理解した気になる。
そこから何かが始まるような予感めいた感じが出せればその物置小屋はなんか秘密めく。
それを狙っていたわけではないと思うが、なんとなく部屋作りをしていたらこうなっていた、、帰納法。
それが他のガレージ愛好者を理解することにもなる。
探せば結構あちこちにいそうな「そういう人たち」の仲間入りができたかな。
目指していたわけではないけれど結果として、ここにたどり着いた。こういうたどり着き方が僕には合ってる、と思いました。
焼き芋ルームは僕の精神構造。
趣味の生活なんて、生活に余裕がある人の暇つぶしと考えていたらここにはたどり着けなかったと思います。そんなもん頭からバカにしていたからです。金の使い方を知らない人たち…なんてね。
でも別に金なんかなくたって「そんな楽しみ方」はできる、という発見。
気になるもの、結果として残ってしまったものを、身近に置いてみたらこうなった。それが愉快。安上がりなのも、そんな部屋にいるおかげで、気分が毎日少しずつ変わっていくのも愉快。
これがきっと、、自分自身にこもることだったんなんだなぁ。
「今」を説明しろと言われてもできないけれど…結果こうなりましたとは報告できそうな気がする。
それが進歩でもあるいは退歩でも気にしない。まだ見ていない自分自身に会いたい…ちょっとキザですね…はたからみれば毎日ただウロウロしているだけなのに…あはは。
(1949年発行の、つまり僕が生まれたのと同じころに出版された人生論ノートが発送料込みで500円以下で手に入った…多分2 、3日で届く。
本は文章と質量でできている。しっかりした古さは、流通している証、経年変化で劣化している紙質は破れやすいので丁寧にめくれと要求してくるだろう。
本は消費されない。近くにあって支えてくれる、、なんちゃって。
当時の文庫本なので字は小さいと思うが拡大鏡を使って少しずつ読んでいくことにする。
カラマーゾフの兄弟に偶然出会えた17歳の夏、人生論ノートを読んでいる77歳の来年。60年かかってやっと2冊目に出会えた僕は幸せです)