7月17日(水)
老いと付き合う。
家の中の様々なシーンを作り出す…例えばスポットライト、たえばろうそく…すべて見え方を劇的に変えてくれる。
スポットライトでできる自分の影に向かって語りかけながら食事をする。
新しい習慣で悪習慣を一掃する。頭の中に溜まったゴミを整理する。その時だけ自分がロボットになったと勘違いするように。
(この考えは恐ろしい考えだ。使い途を誤れば道を誤る。
トランプ前大統領が演説の最中に耳を撃たれたニュースが流れて…その後共和党の大統領候補に正式に指名されたとか。狙撃した20歳の青年は射殺されたと聞く。20歳の青年が描いたシナリオ…頭の中はどうなっていたのか。
道を誤るようにレールが敷かれた…レールを敷いた要因は何か、その要因には誰もが関係していると僕は考えます、僕自身も含めて)
三木清の「人生論ノート」を小説を読むようにして読んでいる。それはきっと正しい読み方なんだろうとこの本を読みながら思いました。
人はだれでも生きている間に1冊の小説を書けると三木清は言っています。人が生きるということは小説を書くことと同じだと言っているのです。
いちまる文庫に人生論ノートを加えたいと思います。出会えてよかったです。
(今突然、不信心者のこの僕が…小さな線香立てを用意しようと思い立ちました。
生活していて時々思い出す人に向かって(それはその人が生きているとか死んでいるとかとは全く別のことです)好い香りのする線香を買ってきて、それを焚いて思い浮かぶその人をダシに僕自身が楽しむためのものです。
もちろん本の中で出会った人たちもその中に入っています。三木清もその1人です。
まさかまさか抹香臭いことが嫌いな僕がこんな気持ちになるとは今の今まで思ってもいませんでした。
多分何より自分をなぐさめるための行為である事は間違いない。
もう何年も使っている普段遣いの小さなコーヒーカップをその線香立てにする事に今決めました。
思ってもいなかったことが起こるのが人間の暮らしなんだなきっと。
感情は客観であると確か人生ノートにも記されてあったと思います。
一般的には主観と思われてる感情が三木清に言わせれば、客観であるとはこういうことなのかと…勘違いかもしれませんが思い当たりました。
この行為が…その人に対する虚栄心であったとしても何ら問題は無い。三木清も納得すると思う。
今回の唐突な思いつき、いかにも、すべてに奥手な僕らしい、、あはは🤣
昨日おっしゃっていたフットレスト、足置き(?)は、こちらでも日本でも使っています。これ、「オットマン」と呼ばれているんじゃないかな。どうしてこういう名前がついたのかは分かりませんが。骨董品店でも見かけることがあって、ちょっと古典調のもので面白がって買った品もあります。足が楽になりますよね。
線香立ては亭主が日本で、これも面白がって買いました。コーヒーカップを線香立てにというのはなかなかいい案ですね。日本のお線香の匂いは嫌いではありませんが、こちらのホテルなどで使っているお香は化粧品みたいな匂いで苦手です。こんなものを東洋風とか呼ばないでほしいと思う。そもそも、香りの好き嫌いは東西で大きな差があるみたいで、こちらで売っている化粧品や石鹸、シャンプーなども甘ったるいイヤラシイ匂いがするので、私は極力日本から持ってきたものを使います。
日本の場合は分かりませんけど、欧州・中東では風呂に入る習慣がなかったのと、肉食のせいか体臭がきついのとで、香料はとにかく「臭い」のをごまかすためだったそうなので、そこはかとない香りなんかはダメだったのですね。下品な体臭に下品な匂いで対抗。毒を以て毒を制しているつもり。
日本には「誰が袖」という匂い袋があるでしょう。着物の袖に入れて香を楽しむ匂い袋。名前からしてゆかしいと語源を調べたら、「色よりも香こそあわれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも」という古今集の歌から来ているんだそうな。つまり香>色ってことですね。
この謂れ、ネットのコトバンクで見かけて調べようとしたら、例によって広告ブロックを外せと言われた。腹を立てていると、横からAIがしゃしゃり出て説明してくれました。AIも役に立つことがあるんだ。コトバンクにアッカンべと舌を出してやりたい。