7月16日(火)
夢が面白い。寝ている間に見る夢のことです。頭の中の1部が再現される。
まだまだ僕らは身近なガラクタや廃墟や壊された自然から学ぶことがいっぱいある。いっそのことそれからしか学べないと頭の中を切り替えてみる。真似だ、真似する。学ぶとは真似をすることだと聞いたことがある。
自然が見つけにくくなっている頭の中が問題だ。生まれてくるガラクタも自然を引き継いでいると考えてみる。そうなると…ガラクタの由来が問題だ。将来のガラクタも問題だ。
(四つ木御殿から引き上げてきたガラクタが面白い。何の脈絡もなく飾ってみたら、それがピタッとはまったりして。
家とガラクタの新しい関係が始まる。ガラクタと思うからガラクタに見える。
そうではなく…新しいパーツが手に入ったと思えばパーツが生きるところを見つけようとする眼ができる。
夢が面白くなってきたのも起きている間、ガラクタ同士の関係性に目がいったからかもしれない。夢分析とかではない、もう一歩踏み込んで夢と現実をあえて混同する。
夢と現実は、つながっている。寝ている間も僕らは生きている…この当たり前のことを寝ている間は忘れている。何かを思い出すために忘れていると思うととても新鮮な気持ちがする。とても神聖な儀式のような気もしてくる。
LSDなんかの力を借りなくても僕らは緩やかに冒険できる。
最近こうも考える…1カ所にとどまって旅をしないことが旅を連れてくる。
監獄に閉じ込められて夢の中で旅をしている気分とでも言おうか。
閉じこもっていたら旅が始まった気配感じる。
起きていても僕らは夢を見られるのだな、きっと。もちろん良い夢とは限らないのですがどうせなら良い夢を見たい。夢と現実を無理して区別して考えなくて良い。現実の1部は夢でできている。同じ理屈で夢の中に現実がある。
夢を描き将来の夢に向かっていっぽ踏み出せとか、簡単に口にするな。夢なんてそんなもんじゃないと思えてきた。夢はもっと本当に身近なものだと考える方が面白い。
将来の夢とは、簡単に出会えないと思うのも1つの方法だ。そう考えれば焦る必要はなくなる。夢を見つけられるのはある種の天才だ、そう考える。天才はそうそう存在するもんじゃない。そう考えれば凡才の立場も確保される。
つまり夢はもっと身近なものだと考えて夢を引き寄せる。
(いつもながら突然ですが…都市はガラクタの集まりと考えてみる。例えば空き家。都市計画地域に指定されるか、相続が始まるまで、ガラクタの雰囲気を醸す。ガラクタはいろいろなアイディアを誘発させると考えてみれば都市が生き物に見えてくる、、生き物である人間が管理してるんだから生き物に見えてくるのは自然、、
と、まあ、今日のところは…無理して強引にそう考えてみます。
昨日いっぱい飲みながら低い椅子に座った時、足を投げ出すための足置き台、フットレストつくりました。
2リットルのお酒の空パックを9つ集めて周りを縛って補強したものです。あっという間にできて笑えました、こんな他愛ないことが面白い🤣)