7月15日(月)
菫振華句集 静涵/ふらんす堂2024年6月初版発行
思いもしなかったものに闇を見る。光を感じ、濡れている、、濡れているのは眼なのか風景なのか…ドキドキする。
身投げする燕に我が身が乗り移ってしまう感覚を要求される。新鮮だなぁと思う。
64ページ
投身の華北平原の斜飛燕
67ページ
仔猫来て日に日に育ちゆく鼓動
71ページ
燕の子濡れた目で見よこの世界
113ページ
バッテリーの切れる寸前夕ひぐらし
(平泳ぎは膝に負担をかけるので少し控えていましたが、また再開することにしました。足の裏で水を押すという特殊な泳ぎ方で、最も古い泳ぎ方。
ものはついで、古式泳法、頭を水面に出したまま上下動少なく泳いでみたらこれが結構面白い。人間はきっと蛙の泳ぎ方を真似したんだと思う。
部位別の筋力トレーニングはしない。泳ぎ込むことによって細かい筋肉の動きを確認していくスタイル…昔からのぼくの方法かもしれない、読書百遍意おのずから通ず、のイメージにこだわっている。感覚だけが頼り。
足裏で水を蹴った瞬間に体を前に投げ込む。ちょっと猫背にしてちょっと前だけを見て投身する?
ツバメのように、、単純な繰り返しがその都度面白い)
気分転換にいつもの歳時記を広げる。
浴衣、、が湯帷子(ゆかたびら)から来ていると知る。
借りて着る浴衣のなまじ似合いけり 万太郎
夏帽子(夏帽、麥稈帽(むぎわらぼう)、パナマ帽)の季語を見て…汗染みて汚れた感じの使っていなかったハンチング帽2つをなんとかしたいと思いつく。
生成(きなり)のものはインスタントコーヒーをお湯に溶かしそこにつけて染色する。
白いものは漂白剤に付けておく。
雨降りだったので家の中に干す。
古びたる帽子染め初め凌ぐ夏
脱色のハンチング帽夏行くぞ
(夕方みたら両方とも大成功、垢抜けして再生しました)
年寄りだからこそフラフラ楽しめる夏もある、ハンチング帽被って何をハンチング?
自転車をこぐ見るスマホ梅雨女
濡れてこぐ自転車スマホ夏乙女
雨の中シャツ、短パンを濡らしながら傘もささずにスマホ片手に自転車で鼻歌でも歌っている感じで通り過ぎていきました。空いた道とは言え危ないよーと声をかけるいとまもあらばこそ。
リクエストしておいた三木清の本が3冊きた。
戦前の自由にものが言えない風潮の中堂々たる幸福論が人生ノートの中で語られていく。夢中になって読んでいくうちに晩酌の時間に食い込んでしまった。
僕の幸福の追求のために読書は中断。ありあわせのもので晩酌、それが僕の幸福。
今日もゆっくりと幸福について考えたいと思います。
ろうそくの長く静かに燃えた火の火種つきゆくゆらぎが美しい
菫振華句集、初耳。三木清、哲学者・・・ですよね。すごく難しそう。
俳句といえば、菜殻火って夏の季語で、春に満開だった菜の花の枯れたのを焼くのは昔九州の筑紫平野で盛んだった慣習だそうですが、今はもう無いんじゃないかなあ。
そういえば福岡出身の俳人野見山朱鳥の主宰誌は「菜殻火」という題でしたね。
これを思い出したのは、先日出かけた先のザクセン州エルツ山地と呼ばれるチェコ国境に近い村々で芥子菜の畑を見たためです。この辺り辛子(西洋辛子、マスタード)の産地で、この植物はアブラナ科なのでよく似ていて最初見た時は菜種かと思ったのですが、どうも違う。近くで見ると鞘がはじけていて、これは菜の花も同じですが町で辛子を売る店を見かけたので、ああ、芥子菜なのだと気がつきました。今の時節、茶色に枯れた芥子菜が辺り一面に広がっていて、菜殻でなく芥子菜の殻を焼く慣習があってもいいのに、と思いました。
菜殻を焼く風景というのは想像しても幻想的だと思ってそれに関連した句を探しましたが、ピンと来るものがありませんでした。こういう光景は却って詩歌にはなりにくいのかもしれません。
パナマ帽といえば、母の死後に倉の二階を整理していて祖父のパナマ帽を二つ見つけました。それらは座敷の梁の、昔蚊帳を吊るのに使った鉤状の釘に掛けてインテリア飾りにしています。