7月13日(土)
冷蔵庫が小さいので作ったものはどんどん食べていかないと余ってしまう。
長芋なんかは小さいものを買ってきて、とろろ芋にした後は輪切りにしてフライパンでソテーしておく。お酒のつまみ。
大根1本は下半分を物干しの下につるしておいて漬物にする。
あとの半分は大根おろし、味噌汁の実、漬物にしておしまい。
キャベツは小ぶりのものだったらいっこ丸々の半分はざく切りにして塩をふりかけ手でぎゅっ、ぎゅっと絞って、ざっと水洗いして塩昆布か何かで味付けしておく…ついでにオリーブオイルもふりかけておく。あとの半分はやはりざく切りにして油炒めにしておけばしばらくもつので、スープに入れたり麺類に付け加えて食べてしまう。
にんじんが余ったらナムルにする。じゃがいもが余ったらジャーマンポテト。玉ねぎは大体余らない。炒めておけば何にでも使える。
(こう考えてから…わざとふざけて…哲学は何にでも使える、、と言ってみる。
下記の本は分厚い本ですがとてもわかりやすく整理されていて、読みやすいオススメ本です。
哲学と宗教全史/出口治明/ダイヤモンド社2015年8月第1刷発行
の435ページにサルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という言葉が紹介されています。
そういうことなら僕は自由の刑に服していると考えればいいわけか。ずいぶん気楽な刑罰だ。哲学者の一部にとっては有効な刑罰かもしれない。凡人にとってはそれは刑にはならない、、あはは🤣
(わかってないことが圧倒的ということがわかっているなら、わかっていることだけでやりくりしていく凡人が多ければ多いほど社会は良いほうに向かっていくと思うけどな。
何かの折に…昭和が私を作った…とぽろっと漏らされたQさん、、言葉や状況が人間を規定したり、環境が人間に及ぼす影響を直感されたんだと勝手に考えてみました。
社会は良心的な人間で保たれている…と三木清が言っていると僕が現役で仕事をしているときの2番目の相棒が言っていた。
三木清の人生論ノートに当たっていこうと思います。
そして…環境とどう付き合うか…哲学者だけに任せておいて、「だんまり」を決め込むわけにはいかない…なんちゃって)