7月11日(木)
ろうそくが燃え落ちるまでじっと見つめていたのは初めて。昨日の朝の出来事。
暗くなったり明るくなったりあーもうおしまいだなぁと思うとまた燃え続ける、それの繰り返しで2、30分あっという間に経ってしまった。
ろうそくが残っている限り風でも吹かない限り燃え続ける。
火種がある限り燃え続ける。
ろうそくを人生になぞらえたくなる。ろうそくの火を命と考える。
火種のバトンタッチが新しい命の誕生と考えるとぐんと気楽になる。
火種が尽きたら、お役御免、と考えればご苦労様と自分自身に声をかけたくなる。
最後まで自分自身を演出しきると思ったら火種を自分で断つことまで演じ切ればいい。
岡目八目。見られてなんぼ。少しは体裁を気にして…でも、結局みんな自分の好きにするのがいちばんよいと思いました。
楽しんでるかい?と自分を鼓舞するために声掛けも忘れずに…あはは🤣
(歳時記を見ていたら…「釣堀」(つりぼり)という季語が出てきました、、ちょっと引用します
東京附近だったら葛飾の四ツ木か堀切あたりのさびれた釣堀を想像するとよい。朽ちはてた板圍の中に、鯉だの鮒だのを泳がせて夏の盛りは人を集めてゐるが、夏が了る頃は、人氣も少く、丈伸びた葦に葭切が鳴きしきってゐて、釣堀と書いた旗が力なくはためいてゐる。
釣堀の旗みえそめしよりのみち 万太郎
釣堀やみな日焼けたる釣なじみ たかし
引用以上
( 新編 歳時記 水原秋桜子編/大泉書店昭和三十ニ年一月ニ十日改定発行 270ページより引用)
なんで引用したかといいますと…四つ木や堀切は東京附近、、つまり東京にくっついた、あっ、これも東京なのね、というちょっとほっとする寂れた周辺地区の感じを好ましく思っていたのかなと思いました。水原秋桜子の心に残る風景、、多分そうだと思う。
上記の万太郎の句「…よりのみち」寄り道?と気になって調べていたら、、ちょっとネットサーフすることになって、、「575筆まか勢」というブログに釣り堀の特集があり、さらにそこから、金子兜太が推していた中国の方の俳句集を知り、気になって今、アマゾンに発注しました。
董振華句集『静涵』(せいかん)
釣り堀に誘われて、垂れた釣り糸からめっけもの引っかかりました❣️「575並べ」で遊んでいてよかった、、こんなこともあるのですね😌
ろうそくのゆらめきとあり夏の宵
松本たかし、水原秋櫻子、いずれも私が好きな俳人です。秋櫻子には「葛飾」という句集がありますね。当時は葛飾は鄙びた地域だったようで、水路も多くあったと聞いています。万太郎については、この人は玄人というか文学者の中にファンが多かったみたいで、私も「湯豆腐やいのちのはての薄明り」という句をこれぞ俳句と激賞する某作家のエッセイで久保田万太郎を知りました。
他にも「時計屋の時計春の夜どれがほんと」なんて飄々とした句もあって、この人江戸っ子じゃないかな、と思ったら当たり。浅草の生まれですって。そして1899年生とあり、あら、うちのお祖母ちゃんと同じ年、とちょっと嬉しくなりました。それだけで、この人が私の中で生きてきます。決して遠い歴史上の人じゃない。