7月9日(火)
一昨日夕方書留が届いた。ハンコを押して郵便物を受け取る。
銀行のカード。クレジットカードとキャッシュカードが一緒になってる。
これを使えば、オンラインショッピングやセブンイレブンでカップラーメンを買った決済も端末画面にかざすだけで即、銀行残高が引き落としになる、、いまどき、こんなことに驚いているのは僕位なもんでしょう😅
やっとここまで来たかと思った。
スマホを手にしてその便利さにびっくりした時も…やっとここまで来たかと思った。
(前にも言いましたが、、1990年代初頭にネットでアメリカの高校の掲示板につながって、チャット欄にチカチカ、メッセージを受け付ける空欄を見つけた時…とうとうここまで来たかとぶったまげた、、今回のカードの件はまぁその時ほどの驚きではない)
この種のカードは高齢者も手放せないことになるだろう。便利さも広がるが、ブラックボックスのサイズも広がる。
僕にとって、すでに未来は来てしまった…過去形です。
宇宙から見れば地球は巨大な白熱電球か、ナイトクラブ(死語?)のミラーボール、ミラクルボール?
この話題ここまで。
昨日読んでいた本にこんな記述がありました、引用します↓
日本思想史ハンドブック(苅部直片岡龍 編/新書館2008年3月初版発行
168ページ
「東亜百年戦争」
林房雄は、自分が生きてきた時代の実感を次のように語っている。「私は日露戦争の直前に生まれた。生まれてこのかた、戦争の連続であったことは、五味川(純平)氏の四十年も私の六十年も全く同じである。「だれか平和を知っているであろうか?」だれも知らない。私たちが体験として知っているのは戦争だけだ。
徳川時代の少なくともニ百年間は平和であった。国内の小動乱はあったが、外国との戦争はなかった。が、五味川氏の四十年にも、私の六十年にも、十年とつづく平和はなかった。戦争だけがあった。
これはいったいどういうことか。ニ世紀以上も平和に生きた時代があり、一世紀近くを戦争で明け暮れした時代がある。
私は自分にたずねる。明治大正生まれの私たちは「長い一つの戦争」の途中(傍点付)で生まれ、その戦争の中を生きてきたのではなかったか。
私たちが平和と思ったのは、次の戦闘のための「小休止」ではなかったか。徳川ニ百年の平和が破られた時に、「長い一つの戦争」が始まり、それは昭和ニ十年八月十五日にやっと終止符を打たれた……のではないか。」引用以上
わかりやすい。僕にとってのブラックボックスの表面に見出し紙が貼られたようなものだ。
僕らがまだ知らない未来には今の時代の資料集の見出し紙や内容説明はどんな感じになるのだろう。
例えばこんな風↓
歴史資料集の見出し紙(「金融機関のプラスチックカード」の内容説明のインデックス)
キャッシュカードと当時言われていた金融機関の名刺大のカードは当時広まりつつあった…今から見れば2020年代のとても初歩的な改革ですがそれでもIT革命と呼ばれ、まだまだ紙幣やコインが根強く流通していた時代、、世界共通の電子マネーが出現するまではプラスチックカード1枚が世の中を変えたそのことが事件であったなんて信じられませんね…今からほんの50年前の話ですよ…世界のあちらこちらに帝国、とか王朝なんて概念がまだ残っていた頃の話です、うんぬん、、。
今日生まれた人たちだって中学生になる頃は、、日本がかつてアメリカはじめ世界の列強に対抗して戦争をやったことも、戦争後世界第二位の経済大国にのし上がったことも、歴史の勉強を通じ通じて知るばかり、になるだろうと思います。
常識が変われば歴史も変わる。自分の頭の中だけなら世の中も一瞬にして変わる。
(昨日ジムに行っていつものように泳いでそろそろ上がろうと思っていたら…ぼくの生徒(自分でそう言っている)が僕の顔をにらんでる…近づいていくと
、、生徒が悩んでいるのに自分だけ泳いでさっさと帰ってしまうのかとのこと、、気がついたことを指摘させてもらって別れた。
家に帰ってよくよく考えてみたら…すでに「その方の形」で、きれいに泳いでいる、、そう考えたら、、それはもう1つの仕上がりではないのか?と気がつく。
そう思ったら僕自身の泳ぎについてもやっと納得がいきました。そこそこで満足するか、もっと上達を目指すかはそれぞれの人が考えれば良い。それよりもまず、それぞれのレベルで楽しめる人になれたかどうかが肝心。
端から見ていればこう直したほうがいいとか言ったって本人が泳いでいて楽しいならば、いうことはない。余計なお世話。
もっと楽しくなるために上を目指す…きっとあの人はそう言うだろう。僕の、、自分の好きなように泳げばいいと言う主張を聞けば…生徒を見捨てるのかとまたふざけて言うに決まってる。
もしかしたら僕とふざけたいだけなのかもしれない。大人だってふざけたい。
そもそもこのブログを毎日書いているのも僕自身の楽しみになってきたからそんなことにも気をつけるようになったのかな。
こんな簡単なことでも、わかるのに、結構時間がかかってしまいました…あはは🤣
今日も日中は35度まで上がるらしい⤴️もう慣れた😮💨
クレジットカードと言えばこの2年ほど抱えている問題があります。日本にいる時、90年代だから25,6年前のこと、さる都市銀行に頼まれてカードを作りました。まあ、一枚くらいあってもいいかと。それが銀行の思惑でゴールドカードなので、通常より年間の費用が高い。あまり必要ないけど保険みたいなものと、こちらに持って来てごくたまに使っていました。そしたら昨年早々にそれが使えなくなっていることが分かりました。誰かが不正に使おうとしたのを察知してブロックされているのです。それを解除してもらうには銀行でなくカード会社に依頼せねばならない。昨年帰国時に電話しましたが、「音声案内に従って番号を押して」というやつで、何とか押していってもなかなかつながらない。他の人に訊くと、電話が30~40分で繋がったらラッキーな方ですって。オペレーターを雇うお金がもったいないのですね。オペレーターってそんなに高給なの。
最近は鉄道の切符販売もほとんどが自動化され、ちょっと込み入ったルートだとみどりの窓口に行きますが、そこも人が足りなくて長蛇の列。おかしなことに一番便利なのは私の田舎の小さな駅で、そこで経路と時間とその他の要求を描いた紙を見せると、ハイハイと言って東京まででも大阪でも、すぐ切符を準備してくれます。こういう古色蒼然たる施設が残っているうちは何とか救われるけれど、それも消えたらどうすべか。まあ、その頃は当方も消えているでしょうけど。
というわけで、目下私は使いもしない(使えない)カードを持っていて、ここ二年かなりの使用料を払っているわけです。ドイツでは亭主のカードを借りることもありますが、日本で支払いに困るので、JCBとかのカードを日本の地方銀行で新たに作り、これはドイツでも今のところ機能しています。なんだか、庶民に無駄金を使わせようと世界の銀行・カード会社が団結して意地悪しているとしか思えない。