7月2日(火)
2年前に発足したスープ研究会というのがあります。僕も籍だけ置いていますが例によって最初だけ何回か顔を出しただけです。
たまたまなのでしょうけれども皆さんプロ並みの腕前の方が多い。メンバーシップもなんとなく出来上がってるみたいです。いろいろな方が混ざっているにもかかわらず、いい味出してる正にスープのようなお集まり。
(その中のメンバーのお1人が新たにそれとは別に四つ木御殿でそば打ち教室を開催し始めました)
とまあここまでマクラです。当たり前のように自炊するようになって、スープぐらい重宝なものはないと以前も書きましたが、とみにまた最近そう感じることが多くなりました(ただの水ではそうそうがぶ飲みできない…まあ、そりゃそうだ)。
なんとなく余った野菜類があれば何でもかんでもぶち込んでとりあえずは野菜炒めにしておくのはいつものこと。
さてその後のコースはスープになったりカレーになったり、果ては、ごった煮、、つまり失敗というものはありえないし食べ残しも発生しない。でも一番頼りになるのはスープ。水を加えて味の変化を作りやすいからだ。
食通でなくてつくづく良かったと思います。お腹が空かなければ絶対に食べないというルールは守りやすいです。お腹が空いていると何が不足しているかなんとなくわかる。これも以前書いた。だんだん書くことがダブってくる、、ご勘弁願います。
すべからく薄味にしているので、塩のありがたみがわかる。塩のさじ加減で味が劇的に変わるのもわかる。
醤油が万能調味料であるということも身にしみてきた(あっ、茹で上がったうどんに醤油を垂らして食べたくなった!)。
調理した鍋やフライパンについた油やダシ拭き取ってしまうのはもったいない。
いろいろな味がしみているので水を足して手近にある乾物を入れてスープにしてしまう。
鍋やフライパンも油が取れて洗うのも楽。
冷蔵庫が小さいので中の物の回転率が良い。ものを腐らせる暇もない。
昨日は豆もやし500グラムを98円で買ってきてすべてナムルにした。もちろんスマホで調べていい加減に作ったなんちゃってナムル。
作ったナムルは、酒のつまみ、インスタント塩ラーメンに大量にのせてもやしそば、それでも余ったらミソスープ、味噌汁。知らぬ間に油分をとっているのでお通じもスルリ。
と、ここまで書いてきてはたと気がつく。食生活に求めるレベルが低いこんな生活は、まるでサバイバルゲーム(それで何の文句もない)。
読書に疲れた頃、気分転換にこのゲームが始まる、、。
(音楽の舘野泉のピアノに関する随筆楽しく読み終えた。おかげで…キーボードを雨だれのように打って練習している身にも、和音の連なりを楽しんだりテンポの変化だけで、その時の気分の変化を促すことがあることがわかった。
つまり舘野泉の語るところをちゃんと理解したわけではないがその語り口から少なくとも音楽は理屈を離れてもっと自由でもいいということはわかった。
そして僕が生きている間にはとても理解しきれない深さがあるらしいこともわかった。
門前の小僧は門の中に入らなくても、雰囲気だけでも感じられればもうそれで満足。
そもそも僕は、音楽のど素人のくせして、音楽全般、特にクラシック音楽がなんとなく一部の人のものになっているのが気に食わなかったのだ。
単なる音符の連なりじゃないか、、自分なりに楽しんでみせる…正直な気持ちを開陳すればこういうことになる。
芸術は人を選ばない、僕らはそれに虚心坦懐に浸って行けばいい。
最初の会社にいた時ちょっと籍をおいた剣道部に本物のほらを吹く趣味の先輩がいた。法螺を吹く人。僕はトランペットを吹いているので、もしかしたら、ほらを吹く機会もあるかもしれない…あはは🤣)