7月1日(月)
平泳ぎについて書きます(実は今書くことがなくてぼーっとしていてやっと思いついて書き出しました。着地点が分かりませんがとりあえず書きます)
背泳ぎクロールバタフライと全く違う点があります。
進行方向にブレーキをかける動作が多いのでスピードが出ない。
スピードさえ気にしなければ海で遠泳する時などは楽だし顔を出したまま泳げるので気分爽快。リラックスしながら泳げる。俗に言う蛙泳ぎに近い。
楽に楽しめるので年寄り向き。強い負荷をかけるのも簡単だしリラックスして泳ぐのもこれまたよし。
早く泳ぎたい人がいる場合…ちょっと困る。
掻き込んだ手と蹴り出した脚で生まれた推進力をストリームラインに乗せるわけですが、これが大人には難しい。
デモンストレーションしてみても形だけ真似してくださるのですが肝心のタイミングが合っていないので思うようには進みません。
そのうち…肝心なことを教えてくれないからいつまでたっても泳げない!などと笑いながら抗議してくる始末。
そこへいくと子供たちはなぜか水の感覚をつかむのが早い。
多分母親のお腹の中で羊水に浸かっていた頃のことをまだ忘れていないからだと今思いつきました。
年寄りをどうにかしたい。というか僕自身もどうにかしたい。
僕自身を含めてどんどん衰えていく手足の巧緻性、失われていく腕力脚力柔軟性を補うものは理屈理論しかない。
僕は今、この文章を書きながらハタと気が付きました。
そうか、歳をとったら理屈なのだ。きちんとした理由と理屈が必要なのは若い人ではない…僕ら年寄り。年寄りは既に衰えてしまった直感などという頼りにならないものに頼っている場合ではない。
納得するための理論理屈。
(突然思い出す!
浅草の老舗のどぜう屋さんで経理の仕事をしていたときの六代目の社長の事、、
京都の甘味噌で仕上げるどぜう汁、、仕上がった味見をするのはその社長だったのですが…、ある時思案顔…長い寒暖計を用意させるといきなりどぜう汁の中に突っ込んだ、、その現場にいたS係長がその話を感動の面持ちで、短く僕に伝えた、、僕もその話を聞いただけで感動しました。
日本酒の品評会の審査員を務めるほどのその社長が…おそらくは…僕の想像ですが、、味覚の衰えを感じたのだと思います、、そのきっぱりしたあきらめの良さ、切り替えの早さ、それを直感したS さん、そして伝え聞いたこのぼく、、忘れられない、忘れまいとした事件でした)
平泳ぎを、あーでもないこーでもないと講義?するだけで当分、僕自身が楽しめそうだ。
(今日から7月かぁ、、去年の今頃は…初めて迎える新居?での夏…うまくしのげるかまだよくわからなかったような気がする。
今年の夏、1度もエアコンをつけてない。たまに扇風機をつける位のものです。それで済んでいる。今のところ快適。
冬ごもりは習慣化していますが「夏ごもり」もこれから習慣化していこうと思います。こもって生活する、、なんか落ち着く、、放っておいて欲しい、でもちょっとたま〜思い出して、そういえばあの人まだ生きてんのかしら?などと、かまって欲しい、微妙なお年頃、、あはは🤣)
年を取ったら気をつけなければならないことの一つに骨折がありますが、これは老人がよく躓くためだそうで、その理由は足をちゃんと上げて歩かないからということです。ぞろぞろと足を引きずるような歩き方になるのですね。なのでカーペットの端っこにも躓いてしまう。そして頭をかばおうとして腰をしたたか打ち、骨折で入院という話も聞きます。私も時々気がつくと引きずるような歩き方をしています。ただ、こちらでは室内でも靴履きなので、日本のように畳の上ですってんころり、ということはなく、意識すれば靴ごと足を上げる訓練もできます。意識しなくなっていることも多いけど。
放っておいてほしい、でもすっかり忘れられるのは寂しい。子供のころからそうで、周りに親戚が何軒かあったので従姉妹兄弟が勝手にわが家の庭で遊ぶ声が聞こえて(わが家は祖父母の家でもあり、祖父母にとっては従姉妹兄弟は孫なので、孫たちは半分自分の家のように思っていたらしい)、私は一人で読書かお絵描き。今もちょっと似た環境です。住居は管理棟の4階、下から従業員の声が聞こえることもあるし、ちょっと階段のドアを開けておくと3階の食堂からコーヒーの匂いが。亭主が遅くまで帰って来なくても、一人ぼっちと感じることは全くありません。こんな暮らし、いつまで続くかなあ。
今日は亭主が息子にえらく腹を立てていた。35、6年前に別れた年上の妻、つまり息子の母親が認知症になり今ホスピスみたいなところに入っていますが、そこはかなり費用がかかるので、母親が離婚時に父親(わが亭主)から買ってもらった家を息子が売りました。日本円で数千万円。そしてそのお金を使わずに自分の懐に納めたい息子は、母親の治療も無駄だと言ってほったらかし(ということを娘の方が訴えて来た)。別れたとはいえ、元妻だからどんな具合かと亭主は時々電話で訊いていたのですが、最近の返事が「うるさいなあ、もう。死んだら連絡するよ。」亭主はもう呆れてものが言えず、あの子には一文もやらん、息まいております。子供の躾けについてしばらく話したことでした。結論は、親にできることは余りない。所詮はその子の資質次第。