6月27日(木)
読書百遍意自ずから通ず
昨日、本を読み返していてこんな言葉を思い出した。
僕は物事を甘く見る傾向がある。教養がないからだ。本をさっと読んでわかったつもりになる。つまみ食い、忙しかった頃の悪習慣。
反省する。反省は猿でもできるそうだけど、とにかく反省する必要を感じた。猿程度からやり直さなければならない、、と言ってしまってから気の小さい僕は猿に失礼なことを言ってしまったかなと思う。
ものはついでに、昔、母に言われたことを思い出した…お前はお金に対する執着心がない…褒められたんだかけなされたんだかわからない…このときの母の気分…言わんとする事はもう少しお金に執着しろ、無駄遣いするな…ということだったと思います。これは後になって少しですけれども人様にお金を支払う立場になってからいやでも身に付きました。売り上げにかかわらず毎月出ていく固定経費の恐ろしさについても…。
福沢諭吉が言っていた、商人は日々軽々の損に留意せよ、とは、まさにこのことで出費防止をざるで行っているようなもので利益がどんどんと減るばかり。はい、ではどう対処すべきかというここから先の講義は授業料をいただくことになりますので今日のところはこれまで😉
昨日ちょっと甘いものが欲しくなってインスタントコーヒーに砂糖とミルクを入れて飲んでみたらこれがうまかった。甘いものもこれからたまに取り入れることにした。ただし、甘いものを取り入れると虫歯の原因になるのでそれがために歯医者に行きたくなかったら歯磨きは忘れずに。
歯磨き粉を最後に使ったのはいつか思い出せない…僕の歯磨き法は、、小さなカップに塩が入れてありましてそれを歯ブラシにつけてゴシゴシこするだけです。僕のおばあちゃんの真似です。
だいぶ昔に買っておいた「The Art of Eating 」M .F .K .Fisher著、、本箱から取り出して手元に置く。
Hougton Mifflin Harcourtという出版社の復刻版らしい。50周年記念エディション、とある。
最後のページを見ると著者は1908年生まれ1992年に亡くなっている。料理研究家だと思う。
なんで手元にあるのかわからないけどだいぶ前に必要があって取り寄せたものだと思います。
所々拾い読みしてみたら結構面白い。何が面白いかというと古い歳時記を読むのと同じ面白さです。食事や料理に特化しているので楽しみなのだと思います。やっと人並みの食いしん坊になれそう。うまいだのまずいだの言えるという事は気持ちに少し余裕が出てきた証し。
僕程度の読解力でも本に込められた言葉の端々にちょっと昔の雰囲気が味わえて楽しめそうだからこそそんなことも言える。
いま位、暇でなければ多分処分していた本だと思います。色々な意味でありがたい、暇が持てたからこそ、こんな気分になっている自分自身が楽しい。
衣食足りて礼節を知る。食べることはとても大事だ。
ものはついで…他の本も、手に取ってみる…取り寄せておいた樹木図鑑は葉っぱの実物大と縮尺が出ているので散歩に携行するのにもってこい。
(落ち穂拾いという考え方は我ながらとても良いと思います…人が見過ごしているものを拾っていく楽しみとは言ってみたものの…何の事はない、僕自身が惜しげもなく捨てていたものに目が行くようになっただけのこと。それでも、遅まきながらそこに気がつけてよかった…あはは)
お金とのお付き合いを学びたかったら、おっしゃる通り自分がお金を払う立場になってみることですね。毎月の固定費、変動費、どこをどうやったら節約できるか。出費が多いと商売が成り立たない。節約が過ぎると働いてもらえなくなる。自分で小さな(本当に微小な)商売をしたことがあるので、今数十人を雇ってお給料を払っている亭主の苦労がよく分かります。でも二人とも、お金を貯めたいとは思わず、それぞれ使い道があって手元に何も残らない点も共通しています。それから、お金を残してやりたい子どもがいない点も。
実際には亭主には子供がいて、あいにくなことに「できるだけ働かずに沢山のお金を得たい」という生き方なので、父親としてはできるだけ残さないようにしたい。最低遺留分を限りなくゼロにしたい。これはよく分かります。私の親がそうしてくれていたら、姉弟妹間での争い(私は争っておらず、一方的)もほとんど無くて済んだでしょう。
先日、やはり子供のない夫婦が遊びにきて、子供に手を焼く気の毒な親の話になり、私が昔のように「カンドウがないから子は親を舐めるのよね」というと、そうそう、人間やはり感動が必要よね、というので心中苦笑い。私は「勘当」(古くは久離とも)のことを言っていたんですけど。
親が20年なり25年なり子供の面倒を見て成人させたら、「これでおしまい、もう関係ない」と言えるようにすべきだと思います。そんなことしたら、子供も親の面倒を見なくなる? 何言ってんの、今時の子供が老いた親の面倒など見るものですか。だれもそんなこと期待していない、期待できない。それも少子化の原因の一つでしょう。脛をかじられるだけなんて、誰だってまっぴらですよ。