6月14日(金)
服干して夏空の夕上弦の月
一昨日天気が好かった。夕方空を見上げると中天に猫の眉?くらいの小さな月がうっすらと見えた。こんな見え方もあるんだとびっくりした。
それが昨日はなんとなく今にも雨が降りそうなそれでいて降らない、時々いい天気、そんな天気でした…ちょっと日が照ってあたりが明るい時、、
夏ござを積んで自転車風に乗る
僕の横を買ってきたばかりの包装紙がついたござを後ろの荷台に積んだ自転車が通りの向こうをすーっと通り抜けていきました。たったそれだけのことなのになんか涼しげ。
お昼はクラッカーをつまんでお茶を飲み適当に済ませました。お腹を空かしていた方が晩酌がおいしいのです。
(大酒のみの友達ことをまた思い出しました。
彼は昼は盛りそばだけで済ませることが多かったのは、奥さんからもらうお小遣いが少なかったせいもあるのですがやはり、夕方の酒がうまく飲みたいためもあったのかな、、。
彼の家は金持ち、というか資産家でしたが、なぜか、朝、出掛けに奥さんからその日の分のお小遣いをもらっているという、、本当かどうか分かりませんが、、そういうことで…昼飯代は安く済ませその分はお酒に回すという算段だったと思います。
(事情は違いますがお互い懐事情が寂しい2人は酒屋の立ち飲みとか公園で飲むこともよくありましたっけ。
あれから何十年も経ってやっと僕も酒飲みの彼の気持ちが理解できました。つまり夜のお酒を美味しく飲むために多少お腹を空かしておく)
ま、そんなわけであえて薄暗くしている一階の焼き芋ルームで多少空腹気味の気を紛らわすために手に取った本が図書館のリサイクルコーナーに置いてあった「人生の収穫」曾野綾子の本でした(河出書房新社:2011年9月初版発行)
中程のページから読み進め、途中から面白くなり最後まで読み、最初に戻り残った部分を読みました。
全体を通して、今の僕の年で読むせいからか、引っかかるところが少ない。同じ老人同士。
人間の心の働きの奥深さに戸惑うところもさもありなんと思いました。つまり少年犯罪の不可解さには僕も戸惑うばかりです。
読んでいて何故か付箋が貼ってあったページを引用いたします、、多分何かに感動したのだと思います。なにに?
第1章(人生には一日として同じ日がない)45ページ
幸いなことに私は五十年間、小説を書き続けて来た。小説家にとっては、貧乏も病気も昔から一種の財産となっていた。言葉を換えて言えば、健康で貧乏の味も知らない奴なんかに小説が書けるわけはない、と言われていたのだ。しかし私はそうした先入観には囚われず、できるだけ健康で、貧乏に苦しまないように、お金を使わずに生きて来たのだ。
私が小説を書き続けて来られた半世紀の平和は、私の祖国によって贈られたものだ。私はそのことを深く深く感謝している。
引用以上。
今僕は人生で一番平穏な日々を送っている。そんなわけで恐れ多くも曾野綾子のこの言葉、まぁ、おこがましいのを承知で言えば…納得できます。どこに納得したかはうまく表現できません。
世間知らずが世間を知っている小説家一流のある種の韜晦?に乗っちゃったかも。
誰かに何かを感謝するとすれば…「日本」かぁ、、まぁ適当に相槌をうちながら読んだとは言え…僕自身がわからないところに感動してれば、世話がない。
僕より世間を知っているこの人は、こう言っておけば角が立たないとでも思ったのかなあと思ったりする僕の浅い理解かもしれません。
本の題名の「人生の収穫」…僕にとってたなぼたみたいなものを収穫と言っていいのかどうか迷いますが、僕自身の努力の結果ではないとしても、収穫と言わなければ誰かに失礼という感じもします…あはは🤣
(日本に感謝…日本財団の会長としては心得た、そつのない言い方ではある…そうか…そこに感動したのかも…)
揚足取りばやりの世の中で、何か言えば差別とか特権意識とか騒がれる中、文化人・知識人も庶民も等しく「差しさわりのない発言」を心がけている今の風潮にも拘らず、この作家は敢えて物騒な発言をして攻撃されて来ましたよね。例えば、「人は適当な時死ぬべき」とか「価値観も生活様式も異なる人々は互いに離れて暮らす方がよい」とか。
私はいずれも正鵠を得た説だと思って聞いていますが、やれ老人蔑視とか(みんないつか死ぬのに)、アパルトヘイトとか(実際は物騒な集団が越してくるとみんな逃げて、結果ジプシーやマフィアやイスラム過激派集団は固まってゲットーに暮らすことになる。ベルリンにどれだけゲットーがあるか知っているのだろうか。そして彼ら自身がそれを望んで快哉を叫んでいることも)、きれいごとばかり。
曽野綾子が何かというと攻撃されるのは、一つには彼女がほぼパーフェクトに成功した人だからでしょう。才気あふれて(若い頃は)美貌で知られ、作家としての名声の他に、夫は文壇でも屈指の知識人(だから文化長官にもなった)、息子も大学教授。住むのは田園調布の豪邸、三浦半島かどこかに別荘を所有し、葉山で休暇中の上皇夫妻は天皇だった時代から彼女たちを訪ねて来る。
私は曽野さんの説に頷くことは結構あるけど、この人に特に心酔しているわけではなく、カトリック教徒ならではの世界観にも同調しているわけではありません。
しかし!!!上記のような希代の幸運(もちろんその陰に人並みでない努力も)に恵まれているという理由で、この作家を非難したりその説を曲解したりする人々、加えて彼女を叩けば低俗な読者の共感を得ることから表面的な理解・誤解で彼女を批判するマスコミ、これらは本当に嫌いです。「恵まれたお前には分からないだろう」という台詞こそは敗者のそれです。この世で一番厄介な、歴史的に見て多くの悲劇を引き起こして来た、人間の心理は「嫉妬・妬み」そしてそれに由来する憎悪だと思います。これは個人レベルだけでなく、最終的には国家レベルでも、ほぼ定期的に人類の間に湧き上がってきて、小波が大波になり、だから戦争になり、果てはそれが世界を潰すことになるでしょう。
今Kristin Niemiezという政治経済学者のSozialismus(Socialism)という本を読んでおりまして、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、カンボジアの赤いクメール、東独政権、ベネズエラのチャベス、マドゥロ、これらの狂人のために命を落とした何千万単位の人々を思うと、私自身が過激になってしまいます。