6月13日(木)
薄暗いところで暮らす、、と突然思いつく。
その昔家に蛍光灯が来たときの驚きを思い出しました。
60ワットの白熱電球が灯る部屋で一家が寄り集まって食事をしていたあの頃のある日、蛍光灯が部屋を明るく照らした時、部屋の空気まで一変したことを突然思い出しました。
白々と部屋の隅々まで照らし出す蛍光灯の光、、ちょっと大げさに言うと、、まるで場所を瞬間移動したような感じ、、
昨日部屋のLEDを調光して薄暗くしてみました。
その明かりの中で食事しているとご飯を食べる終わる頃には何の違和感もなくなっていました。
それどころか、落ち着く。
脱ぎ捨てられた寝間着なども…普段だったらすぐ片付けてしまうのですが…まぁいいか後にしよう…なんていう気分です。
目障りなものもそう神経質にならなくても目立たないので許してしまう。。。これはこれで面白い。
1階ではしばらく飽きるまで薄暗く暮らすことにします。
昔を思い出すためではありません。薄暗い部屋では光が頼りです。光を味わいたいがためです、、なんちゃって。
3時ごろ日差しが弱まってから外に出るとまぁまぶしいこと。
僕の家とくっついている隣の家から女性が顔を出し…コチラ二スンデイルカタデスカ?
聞こえなかったのでもう一度耳に手をやって話てもらう、、やっと隣に引っ越して来る方だとわかる
、、
あ、よ、よろしくお願いしまーす、、と如才なくにこやかに返事を返す…外国の方ね…路地が賑やかになるのは大歓迎。
四つ木御殿に向かう途中、放課後の子供たちが僕の脇を通りすぎる。
アイスバー咥えて駆ける子らの夏
家に戻り薄暗い照明の下で日本酒を飲みだした。驚いたことにちょっとの間でしたが外の照り返しの光が部屋の中に差し込む。今まで差し込んでいたことさえ気がつかなかった…。
こうなると明るい照明が必ずしも面白いわけではないことに気がつく。
暗い影を落とさない明るい照明はなんか圧倒的すぎて見落としているものに気がつかない。
人の目をくらます。
(霞ヶ関の官僚が事なかれ主義に陥っているという雑誌を見た…そう書いている著者の本を取り寄せることにした。
職業としての官僚:嶋田博子著:岩波新書
僕自身が中だるみになるのは許せるとして…日本の中枢を担っている霞ヶ関の官僚が中だるみは大いに困る。
政治家の答弁資料を作るのに残業までしている現実…そのツケが回ってくるのは我々国民。
その辺を等閑に付して政治家選びをさせられている僕らこそ迷惑。
兄が夏掛けぶとんを欲しがっている。実は夏冬兼用の化繊の毛布があるのだが…よくよく考えたら季節感を味わうためにかさばらないものがあれば持っていってあげようと考え直しました。
積極的に季節感を味わう…か、、自分で言ってから、はっとする)
日本に住み始めた外国人が、最初はなんでそんなものと思うけどだんだん必需品とするものに、タオルケットがあるそうです。軽いブランケットなら持っている、でもタオルの肌触りが快適。そうでしょうね。欧州では空気がからりとしていて普通の毛布でも気にならない、でも日本の夏にタオル地がぴったり、とガイジンさんも言うらしい。
外国との比較と言えば、欧州少なくともドイツ、英国、フランスなどでは家庭で蛍光灯を使うことはまずありません。これは工場などで使うものとされています。明るすぎるということもありますが、白々として暖かさがないことが嫌がられる原因みたいです。LEDが使われるようになった今でも、白熱灯っぽいの好み、またギラギラ明るい光には拒否反応があります。
もともと、ほの暗いランプの光は、レストランやクラブで好まれてきましたが、これで一番助かるのは女性です。特にある程度年取った人はシワやシミが見えないし、美人に見えるから。また、日本に比べてキャンドルの消費量が圧倒的に多いですね。電灯の明かりは最小限にして、食事の時はキャンドルを灯す。別にクリスマスやお誕生日でなくても、特にロマンチックな演出を狙わなくても、これは普通の慣習です。(日本でこれをやると、冬以外は熱くてかなわないかもしれません。)